「85歳のオジイと69歳のオジイ2人がオスプレイ配備に反対してこの暑さのなか、何も食べないハンストに入りました。皆でオスプレイを止めましょう。万が一来ても、県民の力でオスプレイを追い返しましょう。24時間ここにいるので良かったら、ゆんたく(おしゃべり)しに来て下さい」。
キャンプ・フォスター前を通る国道330号線を走る車に向かってアピールしているのは、米軍の辺野古基地建設に反対する海上阻止行動(2004~05年)で体を張っていた海人(うみんちゅ=漁師)だ。
ハンストをしているのは、小橋川共行さん(69歳)と上原成信さん(85歳)。2人は15日午前10時から塩分と水以外何も摂らない断食に入った。キャンプ・フォスターのゲートすぐ傍に椅子や体を横たえるための畳などを持ち込み、無期限でハンストを続ける。沖縄特有の暑さと湿気が二人合わせて155歳の体にこたえる。
森本敏防衛相が「快適な乗り心地」としてオスプレイの安全性を強調しても、沖縄県民の脳裡には米軍機墜落の恐怖がついて離れない。
米軍は沖縄の本土復帰後42回(石川・宮森六三〇会編~沖縄県知事公室基地対策課まとめ・沖縄の米軍基地より抜粋)も墜落事故を起こしているからである。
小橋川さんの胸を今でも締めつけるのは、復帰前の1959年、石川市(現うるま市石川)の宮森小学校にジェット戦闘機が墜落、炎上した事故だ。17人が死亡、210人が負傷する大惨事となった。
当時、小橋川さんは高校2年生だった。現在は、事故があった忌まわしい石川に住む。上空は嘉手納基地に配備された米軍機の飛行ルートだ。
「米軍機の轟音を聞くたびに、宮森小学校の墜落事故を思い出す」。小橋川さんはこう話すと過去の墜落事故を次から次へと挙げた。上述した42回の事故を全て言うのではないかと思うほどだった。
「まして墜落の危険性が高いオスプレイは絶対、絶対認められない」。小橋川さんは、首を横に振りながら声を振り絞るようにして話した。
(つづく)
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