瓦礫が燃やされた23日は、北九州市役所でも大きな動きがあった。試験焼却が始まる正午までに、市役所ロビーには近隣都市などからも含めて100人の市民が集まった。北橋健治市長に会い、焼却の中止を求めるためだ。
市の職員たちがエレベーターホールを塞ぎ、市民を5階の市長室に上がらせないようにした。収まらない市民たちは階段で5階まで行こうとする。秘書室幹部が代表10人と会うことで折り合いがついた。
対応したのは二上貞好・秘書室次長ら。子供を持つ母親たちは行政の姿勢を質した――
「電話で(市の環境局に)問い合わせても“安全な瓦礫だから”の答えばかり。安全な放射能ってあるんですか?」
「よりによって運動会シーズンで子供が外に出る機会が多い、この時期になぜ瓦礫を燃やすのですか?今止めてほしい。この瞬間にでも止めてほしい。子供が被曝したらどうするんですか?」
二上次長は「今すぐ結論が出せる問題ではない」とかわした。
市民がここまで強硬になったのは、市側、特に環境局の説明があまりにも不十分だったことに尽きる。八幡西区の女性が「説明会はいつですか?」と問い合わせたところ、環境局は「配布物で全戸にお知らせする」と答えたという。
ところが配布のされ方に驚く。説明会の『お知らせ』は、折り込み広告の中にさらに折り込まれて入っていたのである。砂漠で砂金を探す位のつもりで、折り込み広告を丹念に開いて読まないことには、発見できるものではない。
環境局幹部が「騒いでいるのは愚かな避難者だけだ。ほとんどの北九州市民は(瓦礫焼却に)賛成だ」と発言したとされることも、市民の反発を買った。この幹部は発言を否定しているが。
「環境局に問い合わせても埒が明かないので、こうして市長に面会を求めているんです。いつ市長に会えるんですか?」母親たちは口を揃えた。
「関係部局で受け止めて市長にお伝えします」。二上次長はお役所言葉を返す のがやっとだった。
代表団の中には原発事故で計画的避難区域に指定された福島県葛尾村から下関市に避難してきた女性(60代)もいた。
「やっと安住の地を見つけたと思ったら北九州市が瓦礫を受け入れるという。(北九州市の)焼却場は下関のすぐ傍。なのに下関に説明はない。福島原発も“安全だ、安全だ”と40年間言われてきた。その結果あの事故。瓦礫の焼却もあなたたちは“安全だ、安全だ”と言い続けている。人の生活を何だと思ってるのですか?」
今度ばかりは、二上次長もかわせなかった。
代表団の一人は、瓦礫の受け入れを拒否した札幌市長の言葉(札幌市HPより)を例に迫った。「市長として判断する際に最も大事にすべきこと、それは市民の健康と安全な生活の場を保全すること…」。
二上次長は「皆さんのお気持ちは市長に伝えます」と告げ、幕を引いた。
1階ロビーには、なお100人近い市民が残り、代表団と秘書室幹部との交渉を見守った。
今年3月、神奈川県から北九州市に子供2人(4歳と1歳)を連れて避難してきた女性(30代)の言葉が、母親たちの今の気持ちを代弁しているように聞こえた―
「取り返しのつかないことになる。本焼却には行かないようにしてほしい。試験焼却が始まったので、子供たちを家から出したくない」。
《文・田中龍作/諏訪京》
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