「子供を放射能から守りたい」。母親の願いが福島から全国へ広がりを見せている。福島から東京に避難してきた母親はじめ、関東、東海、関西の母親らが3日、原子力安全・保安院、厚生労働省、文科省に足を運んだ。彼女らは「原発のない、子供が放射性物質に怯えることのない社会を目指して下さい」と要請した。(主催:いのちを守るお母さん全国ネットワーク)
母親たちのほとんどが、行政に対して「もの申す」のはこれが初めてだ。それでも臆することなく霞ヶ関官僚に苛酷な現状を訴えた。
三宅加奈さん(30歳・仮名)は妊娠8ヶ月。福島県郡山市から東京に避難してきた。原発が爆発した時は妊娠6ヶ月目だった。ガソリンは不足し飛行機のキップも取れない。三宅さんは脱出しようにもできなかった。
郡山にいる間、食糧の買い出しに外に出なければならなかった。「食べないわけにもいかなかったから」と三宅さんは悔やむ。「産むのが怖い」と不安をのぞかせた。夫は仕事があるため郡山を離れることができない。別れ別れの生活がこの先も続きそうだ。
「これからの未来を担う子供たちのためにも情報を公開して下さい」。三宅さんは厚労省食品安全部基準審査課の城間勇治・総務係長に要望した。
「私たちは子供たちに安全な食べ物を食べさせたいだけなんです」と声を絞り出したのは香山ゆり子さん(31歳・仮名)だ。福島県須賀川市から子供(1歳5ヶ月)と共に東京の実家に帰っている時に原発事故が起きた。それ以来、福島には戻っていない。
夫は仕事の都合で須賀川市に留まってきたが、地元での職を捨て東京に出てくることにした。新しい仕事はまだ見つかっていない。
「放射能からは逃げられても経済が不安」。香山さんは顔を曇らせた。
埼玉県に住む松井孝子さん(30代・仮名)は生後5ヶ月の子供を抱えて要請行動に参加した。母乳で育てているので松井さん自身、食事や水に気を使う。食材は関東・東北以外から取り寄せている。出費が倍に膨らんだ。
3月、埼玉で基準を超えるヨウ素が出たが、行政から発表があったのは3日後だった。「自分の安全は自分で守るしかない」。松井さんは自らに言い聞かせるように語った。
「いのちを守るお母さん全国ネットワーク」事務局の戸倉由起枝さんの言葉が現状を象徴している。戸倉さん自身、浜岡原発の近くに住む――
「私たちは原発難民から原発棄民にされようとしている。日本中に原発がある。節電しますから(原発を止めるよう)宜しくお願いします」。(文科省で)