イスラエル軍がパレスチナ自治区(ガザ、ヨルダン川西岸)に大規模侵攻すると、民間人殺害の発生がしばしば報告される。今回(08年12月27日~09年1月17日)のガザ侵攻でも事件は起きた。
ナバネセム・ピレイ国連人権高等弁務官が「国際人道法違反の可能性がある」と指摘しているのが、ガザ市南部郊外のザイトゥーン地区アルサムーニ集落で起きた集団虐殺だ。
アルサムーニ集落は農家約40戸、450人が暮らす。ガザにしては水が豊かで土は赤黒い。オリーブ、レモン、トマト、アプリコットなどがたわわに実る肥沃な田園地帯だった。
家々は粉々に破壊され、土の臭いに硝煙の残香が入り混じる。イスラエル兵がダイナマイトで吹き飛ばしたとされるモスクは木っ端微塵だ。跡形さえもない。イスラム寺院特有の黄金のドームが瓦礫の上にちょんと乗っかっている。
筆者は可能な限り多くの証言を集めるため幾度も現場に足を運んだ。生き残った住民による証言から「最大公約数」を出し、事実関係を詰める必要があったからだ。住民の証言によると、集団虐殺は以下のようなものだった――
1月4日、イスラエル軍がパラシュート、戦車、ジープでアルサムーニ集落に入ってきた。イスラエル兵は住民97人を1軒の大きな家(※)に集めてロックし、外に出られないようにした。
翌5日、イスラエル軍はこの家を空爆した。住民の証言は「F16(戦闘爆撃機)から空爆」「アパッチヘリから」「無人攻撃機から」の3説がある。恐怖で家の中に閉じこもっていたのだから無理もない。
住民が閉じ込められ爆撃された家から100m近く離れた自宅の窓から目撃していた男性は「F16から」と話す。ただ空爆された家の数が夥しいため、「F16」が爆撃したのが「その家」だったのか疑問は残る。
死亡者の数は29人。空爆によるものだけではない。イスラエル軍は集めた住民のうち数人を射殺した。両親と共に家に集められたヘルミ・アルサムーニさん(26歳)は、危うく射殺されかかった。狙撃が始まった時に父(51歳)と母(45歳)が覆い被さってくれたおかげで難を逃れた。両親は射殺された。
(国連人道問題調整事務所=OCHA=の調査によれば、死者30人、家に集められた住民の数は110人となっている。)
ナフィーズ・アルサムーニさん(43歳)は、集められその後空爆で瓦礫となった家の中で29人の遺体と共に4日を過ごした。イスラエル兵が7日までザイトゥーン地区に張り付いていたからだ。「外に出れば撃ち殺されると思い、息を潜めていた」と話す。家に残っていたマカロニをろうそくの火で柔らかくして食べた。
ナフィーズさんは爆撃で左足を骨折した。7日、国際赤十字が救助に来たが、幹線道路からアルサムーニ集落への入り口をイスラエル軍が塞いでいた。救急車は入れず、ロバが引く荷車を使ってナフィーズさんを幹線道路まで搬送した。
イスラエル軍スポークスマンのベンヤミン・ラトゥランド大尉は、筆者のインタビュー取材に対して「作戦の結果、人道上明白な疑念が数多く出てきた。現在、深層を調べている」と答え、集団虐殺があったことを否定しなかった。
事件発生直後の朝日新聞の取材に対しては「指摘されている日時に建物を砲撃した事実はない」として否定していた。
(※筆者注)
ガザのイスラム教徒は大家族制度のため3~5階建ての大きな家に居住することが多い。