エジプトが仲介したハマスとイスラエルの停戦協議が15日午後(日本時間同日夜)、不調に終わると、イスラエルの攻撃対象となっている地区からは避難民が相次いだ。
ガザ最北端の街ベイト・ラフィーヤ地区。イスラエルとの境界にありハマスのロケット弾発射基地にもなっていることから、イスラエル軍が激しい空爆をかける。
避難民が続出し、BBCによれば1,700人以上がガザ市内の国連施設などに逃れた。
15日朝(日本時間同日午後)、エジプトの仲介による停戦協議をイスラエルが受け容れたことから、アル・アタ家の人々15人はベイト・ラフィーヤ地区に戻って来ていた。
家に着いたのは午前9時頃。「停戦協議受け容れ」のニュースを聞くと、すぐに帰ってきたのだ。
子供たちは階段に腰を降ろし、年寄りは窓から顔を出した。一週間ぶりに見る故郷だった。
筆者が訪ねたのは午後3時頃だっただろうか。
アタ家の嫁のマナールさん(27歳)に「ハマスは停戦に応じると思うか?」と聞いた。
「それは神のみぞ知る。ハマスが応じるものと願いたいけどね」、マナールさんは空を見やりながら答えた。
アタ家の人々や周囲の景色を撮影していると、ハマスがロケット弾を発射する音が聞こえた。それから数分も経たぬうちにイスラエルのミサイルが着弾する音が響いた。
さらに数分後、イスラエルの「停戦協議破棄と空爆再開」を地元メディアが伝えた。ファミリーにとっては、わずか7時間足らずの帰還だった。
ベイト・ラフィーヤ地区からは次々と人々が逃れ始めた。アタ家のように帰宅していたファミリーもいれば、初めて脱出するファミリーもいる。
子供も年寄りも総出で、家財道具を荷車に積み込んだ。急がなければ爆撃される。皆、殺気立っていた。
もうひとつ(別)のアル・アタ家は前夜、イスラエル軍の空爆を受け、家が粉々に破壊された。
予告となる警告弾が落ちて2分後に本格爆撃があったため、家財道具を持ち出す余裕なんぞなかった。着のみ着のままの脱出である。一家25人のうち6人が空爆で負傷した。
一家の避難先は同じベイト・ラフィーヤ地区だという。筆者は驚いた。
「ベイト・ラフィーヤだと、また爆撃されますよ」と聞くと、ファミリーの次男サワランさん(27歳)が答えた―
「ベイト・ラフィーヤは故郷だ。我々はどんなことがあってもここを離れない。イスラエルに伝わるように報道してくれ」。
停戦協議が行われていたこの日も、ハマスはロケット弾を放ち、イスラエル軍は空爆した。飛び交うミサイルとロケット弾の数がいつもより少ない ― ただそれだけだった。
双方とも停戦するつもりはなかったことが分かる。政治に裏切られ犠牲となるのは、戦争とは全く関係のない住民である。
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