真冬に逆戻りしたような冷たい北風が吹き付けるなか、国会議事堂前は原発を止めようとする市民たちの熱気に包まれた。福島の惨劇などなかったかのように原発再稼働に突き進む安倍政権への怒りが、青白い炎を出して燃えているようだった。日比谷の野音に続き、夕方からは国会前で大集会が開かれた。(主催:首都圏反原発連合)
政府は避難指示解除準備区域などに早期帰還した住民に新たな賠償金を出すことを検討している。人の命と健康を金で買うつもりだろうか?住民の評判はすこぶる悪い。
この2年間、通勤でもするかのように頻繁に上京し「原発をなくせ」と訴え続けてきた郡山市の女性(50代)は憤る。「命とお金を天秤にかける。この期に及んでそのようなやり方をする政府は本当に許せない」。こう語る彼女の胸にはガラスバッジ(積算線量計)が提げられていた。昨年1年間の被曝量は2・6mSv/yもあったという。
議事堂前の大規模集会でよく見かける子どもを抱いた母親の姿はあまり目にしなかった。砂ぼこりと冷たい風を避けたのだろうか。母親に代わって、きょう、よく見かけたのは父親の姿だった。
毎週金曜日の仕事帰りに官邸前の抗議集会に参加している横浜市の男性(30代)は、生後8ヵ月になる男の子を抱いて国会前に立った。
「どうやって世の中を変えていくのか、子どもに見せに来た。社会がぶっ壊れかけている。原発とは政治の悪い部分、資本主義の悪い部分、世の中の悪い部分がすべて凝縮されたものだと思う」。
とはいえ男性は子どもの健康に気を揉む。「2011年11月(原発事故から8か月後)に妻の妊娠が分かった。食べ物には本当に気を付けてきた。子どもが土にまみれ草花を口にくわえたりするようになった時が非常に心配。今後、東京に住み続けてよいものか悩んでいる」。男性はつらそうな表情で話した。
西東京市の父親(会社員・30代)は、10歳と3歳の子供の手を引いて参加した―
「2年が経ったが原因も分からない、何が起きているのかも分からない。(国民は)不安の中で過ごしてきたのに、政府はそんなこと(原発事故)を忘れたかのように経済中心主義に突き進んでいる。人の命を忘れているのではないか。(政府は)3・11で何を学んだのだろうかと思う」。
父親は憤りを隠せないようすで話を続けた。「自然の中で生きていることを忘れると(人間は)また同じ間違いを犯す。子どもには未来がある。(大人は)無責任なことは絶対できない」。
国民の多くを不安に陥れた原発事故は、明後日から3年目に入る。年を追うごとに成長していく子どもたちの将来を狭めるようなことがあってはならない。
《文・田中龍作 / 諏訪都》