あの惨劇から明後日でちょうど2年が経つ。「原発事故を風化させてはならない」と福島の被災者や全国各地で原発反対運動に携わる人たちが今日、明治公園で集会を開き、渋谷までデモ行進した。(主催:「さようなら原発」一千万人署名 市民の会)
会場には「反原発NGO」「平和団体」などのノボリが林立し、ブースが並んだ。「原発を問う民衆法廷」のブースにいた村田弘さん(写真)は、南相馬市からの避難者だ。広い農家に住んでいた村田さんだが、避難先の横浜で慣れないアパート暮らしが続く。
「2年経って政府の対応は“ひどい”の一言に尽きる。自分がかつて住んでいた所は“避難区域”から“避難解除準備区域”に変更になった。放射能の状態は変わっていないのに政府は(区域の)指定だけ変えた…(中略)人間の最低の安全を守るのが国というものなら、日本は国じゃない」。
憤りを抑えきれないようすで村田さんは話を続けた。「家は地震・津波の被害に遭っていない。意地でも戻りたいと思っている。帰って現状を伝えたい。証言者になりたい」。
原発事故が起きたのは、桜の花びらが開く直前だった。「1回目の桜は錯乱状態、2回目は怒り、3回目の今年は淋しい」。村田さんは眼差しを遠くに置きながら話した。
原発推進派が圧倒的多数を占める双葉町議会から不信任決議された井戸川克隆前町長も、原発事故の犠牲者だ。ステージに上り政治の貧困を訴えた―
「放射能のある環境で育つ子どもと、放射能のない環境で育つ子どもが平等でしょうか。憲法で保証された人権というものが確立されているとお思いでしょうか。とんでもない無政府状態の日本に住まわされている思いです」。
井戸川前町長は住民の健康被害に焦点を絞ってスピーチを続けた。「チェルノブイリの状況を27年後の福島にもって来ようとしている勢力に対して、声を大にして“とんでもない、お前たちは職責から離れろ”と言いたい」。
作家の大江健三郎さんも原発推進勢力への反発を隠さなかった。「フクシマをなかったことにしようとする“連中”とは戦う」「1台の原発も再稼働させない」。筆者は“連中”という言葉にドキッとした。
原発事故からまだ2年しか経っていないにも拘らず首相は再稼働を口にし、環境大臣は審議会から脱原発派を除外する。チェルノブイリと並ぶ原子力史上最悪レベルの事故などまるでなかったかのようだ。
ノーベル文学賞受賞者はあえて下卑た言葉を使い「歴史に学ぶことを忘れた」民族に警鐘を鳴らしたのではないだろうか。
《文・田中龍作 / 諏訪都》