東京・日比谷公園は、行政府の代名詞であり権威の固まりである霞ヶ関に隣合う。
年の瀬に派遣切りに遭い職も住居も失った労働者に食事や寝所などを提供する「派遣村」が、年の瀬の12月31日にオープンした。広大な公園の中でも最も厚労省に近い場所だ。
主催者(派遣村実行委員会)の一人で「派遣ユニオン」の関根秀一郎書記長は「厚労省への抗議の意味を込めて日比谷公園に開設した」と話す。さらに「派遣切りは労働行政の責任。いつでも労働者のクビを切れるようにした規制緩和の蓄積のなかで起きた。いきなり起こったわけではない」と続けた。
「開村」初日の昼には食事を求めて大勢のワーキングプアが訪れた。29日で日雇い派遣の仕事がなくなったという40代の男性は、30日の夜は都内のビルの地下通路で一夜を明かした。
「寒かった。今夜からはこちら(派遣村)のお世話になれる。有難い」と言いながら、湯気の立つおでんとおにぎりをゆっくりと噛みしめていた。
派遣などという労働形態が作り出されなかったら、男性は炊き出しや宿泊のお世話にならなくても済んだだろう。
今年11月末頃から、大量の非正規労働者が「明日で解雇です」と通告される、いわゆる派遣切りが一気に表面化した。契約期間がまだ数ヶ月も残っているにもかかわらず、突然クビを切るのだ。厚生労働省は、派遣労働者のユニオンとの交渉で、それを「違法ではない」と言い切った。
厚生労働省の見解は “正しい ” 。04年以降、人を部品のように使い捨てることが合法化されているのだから。
自動車工場で働く派遣労働者は、たいがい寮住まいだ。首を切られると住居も同時に失うのである。給料から寮費はもとより冷蔵庫、テレビ使用料を差し引かれる。派遣会社に前借金をしているケースも多く、貯金などできる状態ではない。
6月に起きた秋葉原通り魔殺人事件の犯人、加藤容疑者は自動車工場の派遣労働者だった。「翌月一杯で解雇」と通告され寮も出ていかなくてはならなかった。加藤容疑者は追い詰められ自暴自棄になったのである。
それから半年も経たぬうちに「職と住居を同時に失う」労働者が万単位で出ることになった。
セーフティネットなく破滅
年の瀬に「臨時開業」した新宿西口のハローワークをのぞいた。フロアは職を求める失業者たちで一杯だ。髪に白いものが混じった人が目立つ。求人検索のパソコンを操る手元がぎこちない。
企業が資金繰りに苦しむ2~3月はさらに倒産企業が増える。受注がまだ残っている下請け、孫受け、ひ孫受けもその頃には仕事がなくなる。さらに大量の解雇者が出る恐れがある。ユニオンや労働問題の専門家は、数十万人が職を失うと見ている。
通訳やアナウンサーなど専門性の高い職種に限られていた労働者派遣を、1999年の労働者派遣法改正で原則自由にし、さらに2004年の法改正でメーカー製造ラインにまで解禁を広げた。
「必要な時に必要なだけ部品を調達する。在庫は残さない」。トヨタのジャスト・イン・システムだ。部品を人間に置き換えたのがこの法改正だ。人を使い捨てにすることを合法化したのだった。
ワーキングプアの増大で国民健康保険制度が危機に瀕しているが、今回の大量失業により制度の存続自体が危うくなる可能性もある。
郵政改革に反対して総務(郵政)官僚の地位をなげうった稲村公望・中央大学客員教授はいみじくも指摘する。「超格差社会になればアメリカ同様、国民健康保険制度など存在しなくなる。アメリカの保険会社はそれを待っている」。稲村教授は筆者に訴えかけるように話した。
米国流の金融資本主義にかぶれ過度の規制緩和を推し進めた竹中平蔵総務相(当時)は、「ジャンボ機の離陸と同じで前輪(大企業)が浮けば後輪(中小零細、消費)も浮くんです」と大言壮語していた。
ところが、前輪は一時期浮いたが、後輪は浮かずじまいだった。ついには米国発の金融危機を受け前輪も沈み、飛行機は胴体着陸。セーフティーネットもなくクラッシュした。格差社会の果てにあったのは、「大量の失業、住居喪失」という遭難だった。