
湿潤な黒土に覆われていた農地は鉄骨とコンクリートの巨大な構造物となっていた。=30日、成田 撮影:田中龍作=
もう時効だから白状するが、私は学生の頃、援農やデモで成田の三里塚に足を運んでいた。
北総台地から穫れる白菜が驚くほど大ぶりだったのを今でも覚えている。空港が必要なら他の土地だってあるだろう。肥沃な農地を何で潰すのか。怒りで一杯だった。
飛行機を飛ばせないようにする鉄塔が、天に向かって伸びていた。命がけで空港建設に反対する農民や活動家の意地だった。
世界に衝撃を与えた管制塔占拠(1978年)当日は、空港周辺で大規模デモがあり、田中は隊列の中で「廃港」を叫んでいた。陽動作戦の兵隊だったのである。

東峰十字路(通称)で警察と反対派が大規模衝突。機動隊員3人が火炎ビンを浴び、鉄パイプで滅多打ちされるなどして殉職した。1971年のことだ。=30日、成田 撮影:田中龍作=
聖地とまで言われた三里塚にあって、セクトのお歴々は「我々は正しいことをしてるんだ。権力を倒せば人民は我々についてくる」と豪語していた。
一言でも彼らの思想から外れたことを口にすると「反革命だ」「自己批判しろ」と責められた。
あれから40数年。現職の国会議員から同じような趣旨の話を聞くとは夢想だにしなかった。「権力を倒す」とまでは言わなかったが、他野党を激しく批判した。
田中は二の句が継げなかった。

成田駅前は機動隊で埋め尽くされていた。田中は改札口を出るとすぐに屈強なマル機に腕をつかまれた。=30日、成田 撮影:田中龍作=
議席を増やさないことには、掲げる理想(政策)を実現できない。自分たちが「正しい」と信ずることを訴え続けるだけでは、キャスティングボートを握ることはできない。
田中角栄は「敵を作るな。最悪でもニュートラルまで持って来い」と言った。
前出の議員さんたちの姿勢は、本来味方の陣営にいた人間を、気に入らないからと言って敵陣営に追いやるように受け取れた。独善の域に達していた。
純潔主義は確かに美しいが、政治が精神運動と化すと不毛な結果しかもたらさない。
~終わり~
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