イスラエル軍が病的なまでに執着して爆撃を浴びせるベイルート南郊のダヒヤ。ヒズボラの最重要拠点である。
BBCが超望遠レンズで四六時中、映し出す煙たなびく市街地。それがダヒヤだ。
田中はきょうダヒヤに入った。ドライバーを危険な目に遭わせたくないので離れた所で待っていてもらい、田中は一人で歩いて(厳密に言うと腰痛持ちのためステッキをつきながら)入った。
息を呑んだ。ヒズボラの運営する病院とモスクが同じ敷地にあり、さらには幹線道路を隔てて「サブラとシャティーラ」がある。
「サブラとシャティーラ」とは、1982年に世界を震撼させたパレスチナ難民キャンプ大虐殺事件があった場所のことだ。(サブラとシャティーラはinダヒヤではない)。大虐殺事件については後述する。
ガザではモスクの地下がハマスの弾薬庫になっていた。2008~09年戦争を思い出す。イスラエルの空爆がモスクに着弾すると、しばらくして大爆発が起きるのだ。地下にあった弾薬が誘爆した証拠である。
病院にハマスの司令部があったのか、定かではないが、イスラエル軍は攻撃の口実とした。
病院とモスクがセットになったダヒヤは、紛れもなくイスラエル軍が舌なめずりをしたくなるエリアだ。ちなみに現地時間で8日朝現在、モスクと病院は無事である。
「ユダヤ人はこれでナチス・ドイツを批判できなくなった」と世界の人々が口を揃えたのが、パレスチナ難民キャンプ大虐殺事件(1982年)だ。
レバノンに侵攻していたイスラエル軍が包囲するなか、アリエル・シャロン将軍(後にイスラエル首相)の指示を受けたキリスト教民兵がパレスチナ難民キャンプに押し入り、2日間にわたって殺戮を繰り広げた。
犠牲者の数は数百人~数千人。死体が切り刻まれたり、土葬されたりしたため、正確な人数は不明なのだ。
田中は生存者の話を聞いたことがあるが、「棒の先にパレスチナ人の頭部が括りつけられていたりした」という。難民キャンプは、地獄が楽天の地に思えるほどの惨状だったのである。
2015年にパリとベイルートで同時多発テロがあった際にも、田中はダヒヤに足を運んだ。ヒズボラ立ち合いの下での取材だった。
今回は現地の緊張感がまったく違う。最重要拠点のダヒヤがイスラエル軍に潰される可能性があるからだ。
ナスラッラ師暗殺が示しているように、イスラエルはヒズボラ殲滅を目論んでいる。
「パレスチナ難民キャンプ大虐殺事件」という負の遺産も地上から消去するつもりではないのか。
~終わり~
【読者の皆様】
田中は3枚のクレジットカードをこすりまくって戦禍のレバノンにやってきました。大借金です。
中東の大国イランを巻き込んだ大規模戦争に発展しつつある今回の衝突を、現地から伝える日本人ジャーナリストは今のところ、田中龍作だけです。
資金が続く限りイスラエルとパレスチナの最終戦争を取材するもりです。皆様のお力でどうか支えて下さい。