州都ステパノケルトから約40㎞南東のタガバード村。今回の戦争で南部をアゼルバイジャンに奪取された。北部はアルメニアのままとなる。
アゼルバイジャンの支配下に置かれる南部のアルメニア住民はほとんどが脱出した。
タガバード村が帰属するマルトゥーニ県は、アルメニアに残る地域なのだが、アゼルバイジャン軍が南部まで侵攻してきたところで停戦となったため、南部はアゼルバイジャンの手に落ちてしまった。
アルメニア側とアゼルバイジャン側の境界線には細い縄が張られていた。200メートルほど前方にロシア国旗が立つ。
戦域を守っていたアルメニア軍の指揮官は、ロシア国旗を指し「あの辺りまでアゼルバイジャン軍が来ていた」と話す。
田中が縄をまたいでアゼルバイジャン側に踏み込もうとすると、アルメニア軍の兵士が制止した。兵士は「地面を踏むと爆発する」ジェスチャーをした。地雷が仕掛けられている、というのだ。
戦争中は村の男性のうち70人がパルチザンとして戦った。
ある家庭を訪ねた。電気もガスもなく枯れ木を燃やして暖を取っていた。主婦の弟もパルチザンだった。和平停戦から10日経って戦死したことが分かった。
山岳地帯のナゴルノカラバフにあって、村はさらに山岳高地だ。アフガニスタンを想起させる。
土地は湿潤で肥沃だ。トマト、ピーマン、ジャガイモ、麦、果物・・・
いくらでもゲリラ戦を戦える土地なのだ。
村からの帰り路は、夜霧に包まれた。取材車のボンネットから先は1センチたりとも見えない。雲の中にいるようだった。ハンドル操作を誤らなくても、谷底に真っ逆さまの山道だ。
取材車のドライバーは、先の戦争をパルチザンとして戦った男だった。ヘアピンカーブが連続する山道を、元パルチザンは鼻歌まじりで右に左にハンドルをさばきながら進んで行った。ほとんど減速しなかった。
米軍が手を焼いたアフガニスタンとよく似た自然条件がある。村人が兵士を支えるところも同じだ。
カスピ海沿いの平地で暮らしてきたアゼルバイジャン兵が、征服できる地ではないのだ。
戦争はいずれ再燃する。
~終わり~