自民党の萩生田光一・筆頭副幹事長らが、総選挙前にNHKと民放キー局に申しつけた お達し 。「公平を期すように」との文言だが、「安倍政権に不利になるような報道は控えろ」という趣旨だ。
立派な報道統制であるのだが、フリージャーナリストがTwitterで暴露するまでは、全く問題にされていなかった。
日本のマスコミ、とりわけテレビ局は自己規制が当たり前のようになっているからだ。
「記者クラブメディアは戦時中の大本営と変わるところがない」。こう指摘するのはフリージャーナリストの上出義樹氏だ。
上出氏は北海道新聞の記者を定年まで勤め、現在は上智大学の大学院で日本マスコミの歴史と特質を研究している。記者クラブの体質を身をもって知り、戦時中の報道統制も良く知る人物だ。
その上出氏がきょう、都内で『検証・昔も今も変わらぬマスコミ報道の構造と体質』というテーマで講演した。(主催:草の実アカデミー)
氏は「検閲と自己規制は報道統制の両輪」と話す。陸海軍報道部の許可がなければ新聞は報道できず、社では内閲があった。
今回の総選挙をめぐっては、「自民党通達」という検閲とテレビ局の自己規制により、報道統制は機能した。選挙報道に限らず、いつものことであるが。
~戦時中とそっくり、権力との食事会~
「戦時中は軍とべったり、現在は政治家や官僚とべったり」。上出氏は指摘する。戦時中も現在も「記者クラブ」は、権力とメディアが癒着する温床となっている。
大本営海軍部の記者クラブ「黒潮会」に所属する記者と海軍将校の酒盛は、日常的な光景になっていた。
今はマスコミ各社の幹部が安倍首相と会食する。あまりに頻繁であるため、ごく当たり前のように受け止められるようになっている。
メディアが権力から饗応にあずかる。日本独特の異様な光景は今も昔も変わることがない。
おごられた側の弱みとして不都合なことは書けなくなる。
海軍大本営詰めだった讀賣新聞の小川力氏(故人)は著書『大本営記者日記』で次のように記している―
「面白いことを書くよりも、作戦上不利なことは書かないことの方が限りなく尊い時代であることを私とても知っている」。
海外の主要紙・誌が失敗であると指摘しているアベノミクスの実情を報道しない現在の記者と同じ心理である。
大本営は敗戦を転進、全滅を玉砕と言い換え、メディアはそれを垂れ流した。昭和20年8月15日、玉音放送があるまで国民は実情を知らされることがなかった。
もはや新聞・テレビにウォッチドッグ(権力の監視)の役割を期待することはできない。
大本営(首相官邸)の広報と化した記者クラブメディアによって「この道しかない」は、「いつか来た道」となる。