ヒズボラの拠点であるレバノン南部やベイルート郊外に猛攻を浴びせるイスラエル軍が、珍しく同国北部のトリポリを攻撃した。6日のことだ。
殺害されたのはハマス幹部(氏名不詳)だった。田中は遠路トリポリまで足を運んだ。現場を見ると、集合住宅の3階部分だけが破壊されていた。ピンポイントで狙われたのだ。
田中がカメラを向けようとした時だった。「写真を撮るな」。怒鳴り声が響いた。声の主は30代後半~40代前半の男性だった。
場所が悪すぎた。現場はパレスチナ難民キャンプに隣接していたのだ。キャンプはハマスではなくファタハが支配する。田中はファタハの事務所に連行された。組織の長とみられる60過ぎの男が尋問してきた。
「何しにきた?」
「イスラエルが爆撃した現場の写真を撮りに来た」
「ここは爆撃されていない。爆撃されているのは南部だ」「すぐに出ていけ」。
田中はとりあえず事なきを得た。
取材現場で男性2人組と知り合った。「イランのジャーナリストだ」と自己紹介を受けた。
彼らが田中に「インタビューしたい」というので「OK」と答えた。
「では静かなカフェに行きましょう。車を用意してますから」
「インタビューだったらここでいいではないですか?」
「そこのカフェでないと、ボスからクビにされるんです」。兄貴格の方の男性が懇願してきた。彼は拝むように両手を顔の前で合わせた。
車で行くというのが変だ。田中は断った。レバノンまで来て拉致されたくないからだ。
6年間、ヒズボラに拘束された米国人ジャーナリストの某氏を思い出した。
男性から拝み続けられたが、田中は首を縦に振らなかった。レバノンという国の尋常ならざる姿が透けて見えた。
レバノンを牛耳るヒズボラの雇用主はイランである。
イスラエルに押し出されヨルダン→レバノンに流れ着いたPLO(パレスチナ解放機構)は、レバノンのキリスト教勢力との間で内戦を起こす(1975年~)。田中が尋問を受けた難民キャンプはその遺産である。ピリピリしていて当然なのだ。
ヒズボラを通じて事実上イランに支配されるレバノンは、いまイスラエルの激しい侵攻に遭う。
イスラエルのネタニヤフ首相は「レバノンはガザのような壊滅的状態になる」と警告する。
~終わり~
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【読者の皆様】
田中は3枚のクレジットカードをこすりまくって戦禍のレバノンにやってきました。大借金です。
産油国イランを巻き込んだ大規模戦争に発展しつつある今回の衝突を、現地から伝える日本人ジャーナリストは今のところ、田中龍作だけです。
資金が続く限りイスラエルの終末戦争を取材するつもりです。皆様のお力でどうか支えて下さい。