戦地での取材はドライバーの腕が成否を分ける。
ベテランのアラブ人ドライバー(50代後半)とイスラエル‐レバノン国境を目指した。ゴラン高原を走っているとドライバーが「フォト、フォト(ここで写真を撮れ)」とアドバイスしてくる。
車窓から外を見ると、森の中にイスラエル軍のメルカバ戦車が隠されているではないか。
5~6分走るとドライバーはまた「フォトフォト」。今度は乗り捨てられたイスラエル軍の装甲車があった。
しばらく走ると「UN、UN」。目線を遠くに置くと国連の停戦監視団が右往左往していた。
レバノン領土にある建物の方角を顎でしゃくるようにして「あれがヒズボッラーのアジトだ」。真偽のほどは分からない。
《この男は何でここまで知ってるんだ?》田中は驚愕した。
ドライバーは名を「ジハード(聖戦)」と言った。出来過ぎである。
ジハード・ドライバーとは快調に取材を続けていたが、危険手当も含めて1日1千ドル(約15万円)という高額の負担に耐えかねて、ドライバーを代えることにした。
ジハードが悪いのではない。彼が所属するタクシー会社が設定した料金なのだ。
新しいドライバーはモハメッド(40代)。自らタクシー会社を経営する。社長さんなのだ。料金は1日600ドル(約9万円)で済むようになった。
モハメッドは今ヨルダン川西岸で何が起きているのかを手に取るように把握していた。
難民キャンプにイスラエル軍が急襲してくれば瞬時にキャッチした。危険地帯に踏み込んでも撃たれないように動くことを心得ていた。
最激戦地ジェニンでのことだった。
武装勢力狩りで難民キャンプの坂を上り下りするイスラエル軍を田中が撮影できるように、モハメッドは取材車を死角に潜ませた。
イスラエル軍が包囲する公立病院には、百数十メートル手前の地点まで田中を運んでくれた。
イスラエル軍はわざと一時的に公立病院の包囲を解く。武装勢力をおびき寄せるためだ。モハメッドはそれを知っていて田中を運んだのだった。
田中は武装勢力の一員ではないが、歩いて病院に入った。
救急車が次々と病院に入ってきた。武装勢力らしき姿はなかった。
ジハード、モハメッドともにイスラエル側の動きをよく把握していた。アラブ側の諜報部員ではないかと思っている。
(文中敬称略)
~終わり~
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