イスラエル兵が至近距離から銃口を向けてきた。田中はプレスゼッケンを指さしながら「アイム・ジャパニーズ・ジャーナリスト」と何度も繰り返した。
兵士の指が引き金にかかった時、小隊長とおぼしき人物が部下を制した。「コイツはジャーナリストだ」あるいは「ジャパニーズ」と言ったように聞こえた。「ジャ」の音だけはしっかりと耳に残っている。
2018年5月、西岸ラマッラ近郊のアルビーレ村にイスラエル軍が侵攻してきた時の出来事だ。田中はイスラエル軍のアップ写真が撮りたくて、わざと逃げ遅れたのだった。
あれから5年余りが経つ。ジャーナリストへのイスラエル軍の対応は極端なまでに厳しくなった。
今月4日、イスラエル軍はエルサレムに隣接するバラタ難民キャンプを包囲していた。田中はキャンプの出入り口を固めるイ軍に近づこうとした―
プレスゼッケンを指さしながら「ジャーナリストだ、ジャーナリストだ」と叫んだのだが、イスラエル軍は田中に手榴弾を投げつけてきた。
手榴弾は田中の手前4m位の所で火花をあげて炸裂した。「ドーン」。砲撃のような重低音だった。
先月13日にはレバノン南部の戦線で取材中だったロイター通信のアラブ人カメラマンがイスラエル軍の砲撃を受けて死亡している。一連の砲撃で他6人のジャーナリストが負傷した。
イスラエル軍はジャーナリストたちが固まりになっていたところを狙って撃ったのである。
昨年12月、エルサレムに通じるイスラエル軍のチェックポイント周辺で市街戦があった際のことだった。アラブ人ジャーナリストが彼らとは少し離れた場所にいた田中をわざわざ呼びに来たのだ。「こっちに来てくれ」と言って。
日本人と一緒にいたら撃たれずに済むと思ってのことだろう。実際、イスラエル軍兵士と目が合いカメラを向けたが誰も撃たれることはなかった。
だが10月7日の開戦後、ジャーナリストを取り巻く環境はまったく別物になった。虐殺などの蛮行を見せたくないのだ。イスラエル軍がジャーナリストのガザへの入域を禁止していることが何よりの証である。
「ジャーナリストだったら撃て」に状況は変わった。
~終わり~
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【読者の皆様】
最盛期より幾らか安くなったとはいえ、ドライバーへは危険手当も含めて1日600ドル(約9万円)も払わなければなりません。
ホテル代も入れると1日平均10万円を超えるコストになります。毎日取材に出るわけではありませんが、1ヵ月に換算すると途方もない金額になります。
イスラエル軍の銃口よりも借金に怯えながらの取材行です。
ガザに隠れがちですがヨルダン川西岸でも着々と民族浄化が進んでいます。
ジャーナリストがこの世の生き地獄を伝えなければ、エスニック・クレンジングは歴史上なかったことになります。