停戦発効を確認すると田中はすぐにガザ入域を目指した。ガザ北端のエレズでイスラエル軍の検問にかかり入域は果たせなかった。
検問所の兵士は「軍と同行でなければ通せない」と言って首を横に振った。BBC、CNN、地元一流紙などに限って同行取材が認められる現実を嫌というほど知っているが、イチかバチか賭けてみたかったのだ。
ガザ北端まで行った甲斐はあった。イスラエル軍の前線基地には、100台をゆうに超える戦車や装甲車両が帰投していた。砲口がむきだしになったままだ。本格陸上侵攻前よりも台数は明らかに多い。
イスラエル軍名物の超大型ブルドーザーは、田中が目視する限り、一台もなかった。本格陸上侵攻前は数十台が確認されたが。
超大型ブルドーザーは戦闘行為ではないという名目でガザに滞在し、破壊の跡を更地にする作業に勤しんでいるのだろう。
戦車の砲撃拠点は停戦でどうなっているのだろうか。確認するためエレズから南へ1時間半ほど取材車を走らせた。
砲撃拠点はもぬけの殻だった。戦車を固定していた土塁のような穴が数十穴あるだけだ。砲口から火を吹きガザに向かって砲弾を浴びせていた戦車は一両たりともなかった。
エレズの検問所から南に車で30分あまり。ガザを一望できる丘に立った。上空を旋回するドローンの飛行音がうるさい。高度を下げているのだ。
悪い予感は的中した。「ドカーン」。ミサイルが投下され地響きを立てた。各国のジャーナリストたちが一斉にビデオカメラを回し始めた。
現地時間11時47分(日本時間18時47分)、停戦発効から5時間近くが経っていた。
ドローンはなおも唸るような飛行音を立てながら上空を旋回した。「ドカーン」。前回からほぼ30分後にまたミサイルが落ちた。黒煙があがる。
イスラエルのジャーナリストによれば、ハマスが住民を北に移動させようとしたため、イスラエル軍はそれを阻止しようと空爆した。
ガザに記者を置いているトルコ国営アナドル通信によれば、一連の空爆でガザ住民が死亡した。人数は不明。
2008年‐09年戦争の際も、本格停戦(終戦)後に空爆があり、ガザ住民が死亡したのを田中は記憶している。
停戦しようがしまいが、パレスチナ人は虫けらのように殺されるのだ。ガザの冷厳な現実である。理屈やお題目は通用しない。
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【読者の皆様】
最盛期より幾らか安くなったとはいえ、ドライバーへは危険手当も含めて1日600ドル(約9万円)も払わなければなりません。
ホテル代も入れると1日平均10万円を超えるコストになります。毎日取材に出るわけではありませんが、1ヵ月に換算すると途方もない金額になります。
イスラエル軍の銃口よりも借金に怯えながらの取材行です。
ガザに隠れがちですがヨルダン川西岸でも着々と民族浄化が進んでいます。
ジャーナリストがこの世の生き地獄を伝えなければ、エスニック・クレンジングは歴史上なかったことになります。