15日、田中はウエストバンク最北の自治区ジェニンに入った。昨年5月、アルジャジーラの女性記者がイスラエル軍に射殺された自治区である。
上空をイスラエル軍のドローンが旋回していた。田中が取材車を降りてチョロチョロし始めるとプロペラ音がひと際大きくなった。高度を下げたのだ。
ジェニンの難民キャンプにはハマス、イスラム聖戦、ファタハの武装勢力が活動拠点を置く。不倶戴天のハマスとファタハが反イスラエルで同居するのである。
田中が前回滞在した昨年末は、毎晩のようにイスラエル軍との間で銃撃戦が展開されていた。
地元住民によるとガザ戦争の開戦(10月7日)以降は1週間に2度はイスラエル軍の空爆がある。前回訪れた時と違い、破壊された建造物が多いことにイスラエルの本気度があらためて感じられる。
難民キャンプのゲートであることを示すモニュメントは跡形もなくなっていた。
空爆に遭った礼拝所を訪れた。モスクが集中的に狙われた2008‐09年のガザ戦争が脳裏にまざまざと蘇った。ハマスが武器弾薬をモスクの地下に貯蔵していたため、イスラエル軍の猛空爆を浴びたのだった。
今回ミサイルが落とされたジェニンの礼拝所は屋上に直径50センチ足らずの穴があき、ミサイルは地下まで貫通していた。
地上4階建ての礼拝所の地下にいた戦闘員2人が死亡、4人が負傷した。死亡したのはハマスとイスラム聖戦の戦闘員だった。
地下には地上戦に備えてトーチカがあった。イスラエル軍は武装勢力それもハマスがいることを知り精密誘導弾を落としたのである。
住民に死者を出さず武装勢力のみをヒットした。地上からの正確な内通情報なくしては不可能な戦術だ。
難民キャンプを支配していた武装勢力は開戦前、ジャーナリストが入ることを極度に嫌った。フィクサー(通訳兼案内人)から「ここでは写真を撮るな」と言われ、しまいには「身の安全は保証しない」とまで通告された。
イスラエルの諜報員がジャ―ナリストに化けて難民キャンプで写真を撮っていたことが最大の理由だ。
難民キャンプには戦車止めがあった。7月にイスラエル軍が陸上侵攻してきたのである。イ軍の駐留は3日間に及び、武装勢力との間で激しい銃撃戦が続いた。
ジェニンからレバノン国境まで最も短い所では115㎞の距離だ。ガザで総延長数百㎞のトンネルを掘ったハマスの掘削技術をもってすれば、レバノンと地下トンネルで結ぶことも不可能ではない。
精強なイスラエル軍がわずか一度だけ手痛い敗北を喫したのが、2006年のレバノン戦争だった。
レバノン国境沿いの山肌はヒズボッラーの砲撃で黒く焼け焦げている。
ヒズボッラーが国境を越えてなだれ込んでくる悪夢は現実味を帯びる。レバノンに最も近くパレスチナ武装勢力の活動拠点であるジェニンは、イスラエル軍にとっては何としてでも潰したいところだ。
~終わり~
◇
田中はパレスチナの地に戻ってきた。
二重の借金を背負ってでもガザ取材に再挑戦したのは、1日数時間の「時限停戦」に一筋の光明を見出したからだった。
イスラエル軍がジャーナリストのガザ入域を許可する可能性がわずかにでも出てくれば、それに賭けてみようと思ったのだ。
イスラエル軍がジャーナリストのガザ入域を許可するのは、ハマスを掃討し住民虐殺の証拠を隠滅してから、と見る向きもある。
そうなれば大量のガザ住民が屍となって眠る更地の上に立ち、そこからリポートしなければならない。
2014年戦争で共に死線を潜った地元記者と何としてでも再会したい。
もう一つ大きな気がかりがある。ヨルダン川西岸だ。
昨年末、イスラエルに極右政権が登場するとすぐに田中はパレスチナに飛んだ。
西岸で目のあたりにしたのは、毎日、パレスチナ住民の誰かがイスラエル軍に射殺されるという現実だった。少年であったりサッカー選手であったり・・・
今回、イスラエル軍はガザに侵攻すると西岸への攻撃を強化し始めた。西岸自体はガザよりもはるかに広いが、一つひとつの地区は実に小さい。
イスラエル軍はそこに空爆をかけるのです。日本で言えば「何丁目」に過ぎないエリアに。
ガザのみならず西岸のパレスチナ住民も根こそぎ追い出してしまいたい。殺してしまいたい。民族浄化の思惑が透けて見える。
人類の歴史に刻まれるような大災厄が起きないことを願うのみだが、不幸にして起きてしまった時は、ジャーナリストとして見届け伝えなければならない。