「アラブ人に死を」と叫ぶイスラエルのベングビール国家治安相が、イスラム教徒の聖地であるアルアクサの丘を訪問して約1週間が経つが、イスラム教徒が蜂起する兆候は見られない。
第2次インティファーダ(2000年9月~2005年2月)との決定的な違いは何なのか。
中東のブッチャーとしてアラブ人に恐れられていたアリエル・シャロン首相(当時)が、メディアを引き連れて、アルアクサの丘を訪問。パレスチナの民は日を置かずして蜂起した。
レストラン、カフェ、公共輸送機関での自爆テロが相次いだ。自爆犯が着用するベストを爆発させると無数の釘が飛び出る。強烈な殺傷能力である。実行犯も肉片となっているため、指揮命令系統は分からない。
血で血を洗う抗争となり、パレスチナ側、イスラエル側の双方で戦闘員、非戦闘員合わせて4千人超が命を落とした。(Wikiより)
レストラン、カフェやショッピングモールに入るにも、ガードマンが金属探知器で検査した。田中がテルアビブのショッピングモールで検査の模様を撮影していたら、ガードマンがすっ飛んできた。もちろんすぐに逃げた。
バスなどの公共交通機関は怖くて乗れなかった。第2次インティファーダを身をもって知る田中としては、現状腑に落ちないものがある。 (決して殺傷沙汰があった方がいいと言っているわけではない)
公的機関のパレスチナ人調査員は「アラファトの存在が大きい」と指摘する。
第2次インティファーダの際は、まだ元気だったアラファト(2004年11月没)が「銃を持って街に出よ」「イスラエル軍を一歩たりともパレスチナの地に入れるな」と檄を飛ばした。
田中はイスラエルの犬と揶揄されるアッバス議長治世下のパレスチナに身を置いているが、20年近くが経ち、まったく別世界となってしまった。
ハマスも得意のロケット弾は撃たず、イスラム教徒に対して「アルアクサの丘でシットインを」と呼びかけるありさまだ。
周辺環境もパレスチナ闘争に大きく影響している。
レバノンのヒズボッラはリーダーの病気で統率を欠き動きが鈍化している。イランは反政府デモの内憂を抱える。反米の盟主だったロシアはウクライナ戦争の泥沼に足を取られ苦しむ。
玉突きで動く国際情勢を観念論でなく足元から見つめていきたい。
~終わり~