開戦から36日目、4月2日。
ここが落ちていたら、キーウ(キエフ)をロシア軍の戦車が我が物顔で走りプーチン大統領は勝利宣言をしていただろう。
首都北西の防衛線を死守せんとするウクライナ軍と、首都を陥れたいロシア軍との間で激烈な戦闘が続いていたイルピン。
「イルピンをロシア軍から解放した」とする当局発表は本物だった。田中が現地に入りこの耳と目で確認した。
つい先日まで鳴り響いていた銃声と砲声は一切聞こえてこない。避難民とウクライナ軍兵士が瓦礫を踏む音だけが響いた。
どちらかが敵方を制圧したことだけは確かだ。もしロシア軍が制圧していたら、田中がウクライナ軍兵士と共にイルピンの地に立っていることはない。
北隣の街ブチャからの避難民がイルピンに辿り着いていた。これも「イルピン解放」の動かぬ証拠だ。
ブチャはイルピンに勝るとも劣らぬほどの激戦地だった。ブチャからの避難民はいずれも痩せ細っていた。住民たちは1ヵ月以上にわたって、食料も電気もなく飢えと寒さに震えていた。銃撃戦のなか逃げようにも逃げられなかったのである。
眼の周りに黒アザのあるレオニードさんは、次のように恐怖体験を話した―
「家にカギを掛けて閉じこもっていたが、ロシア兵は鍵を銃弾で壊し、部屋の中に押し入ってきた」
「ロシア兵は私を跪かせ、銃(カラシニコフAK47)を顔に触るか触らないくらいの位置に置き、4発発射した。私は4度殺されそうになったのだ」。
「その後、銃座で顔を殴った。」レオニードさんの目の周りの黒アザは、その時のものだ。歯も折られた。
「家の中にあった物で食料など持ち出せる物は全部持って行った」。
レオニードさんの歳を聞いて驚いた。「42歳」という。顔がシワだらけで精彩はない。髪の毛も真っ白だ。
「まだ黒かった髪は恐怖のため一瞬で白くなった」。
イルピンに入るにあたって軍との間でひと悶着あった。チェックポイントの指揮官は―
「不発弾があり地雷の処理もまだ。ブービートラップがどこに仕掛けられているか分からないから」と言って、しきりと首を横に振った。
捨てる神あれば拾う神あり。そばにいた老練兵士が「俺が案内するよ」と引き取り、田中はイルピンに入ることができた。
イルピン川を渡り同僚がいなくなったところで、老練兵士は田中に囁いた。「俺とアンタは知り合いなんだよ。(ドンバス戦争が始まった)2014年にドネツクのチェックポイントでアンタを通過させたんだ」。
天の配剤だろうか。もし戦場に神がいるのであれば、無辜の民を救け給わんことを願う。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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