田中は大統領府前の様子のチェックを日課としている。ロシアが現政権の転覆をはかり、自らに都合のよい政権を打ち立てようとするならば、大統領府が狙われないはずがないからだ。
軍と治安警察はロシアの動向に応じて警備態勢を敷く。
かつては通り抜けさえできていた大統領府前に軍の装甲車が配備されたのは24日。プーチン大統領が戦争開始宣言をした日だ。
26日には高射砲が配備された。ロシア軍が空から急襲してくるとの情報があったためだ。
それでも写真は撮れたりした。
極端に厳しくなったのは、26日夕方、外出禁止令が敷かれてからだ。ロシア軍がワグナー社の傭兵400人をゼレンスキー大統領暗殺のため送り込んできたと『タイムズ』紙が伝えた。
外出禁止令が解かれた28日朝、田中はいつものように大統領府前に歩いて出かけた。
これまでとはまったく様相が違った。軍と治安部隊が戦闘態勢で警備にあたっていた。蟻の這い出る隙間もない、とはこのことだった。
外出禁止令が明けて初めての朝、乗用車が通りがかろうとした。
軍と治安部隊は緊迫感のある大声で警告しながら乗用車を取り囲んだ。ドライバーは車から引き摺り出され、うつ伏せにさせられた。
田中は迂闊にもその場面を写真に撮った。すると、軍と治安部隊は田中に発砲してきた。威嚇射撃だったように思う。
田中はすぐに地面に伏せたが、すぐに拘束され後ろ手錠を掛けられた。
道路の隅に連行され、所持品検査と取り調べが始まった。ノートは日本語で書いているが、電話番号などはアラビア数字だ。
すべての電話番号について「これは誰だ?」と聞いてきた。スパイとのつながりを疑っているようだ。
最後はパスポートで田中が日本人であり、プレスカードでジャーナリストであることが確認されると解放された。拘束時間は30~40分間であったように思う。
街の空気が瞬く間に一変するのが戦争の常だ。
だが、少なくとも田中が発砲・拘束された28日午前9時15分頃(日本時間:28日午後4時15分頃)、首都キエフの中心部にロシア軍の陸上部隊が入ってきた形跡はない。
~後日譚~
後ろ手錠は辛い。手首にミミズが這ったような跡が付き、いつまでもヒリヒリする。だがそれは序の口だ。
後ろ手を締め上げられると肩も締め上げられる。それが30分も40分も続くと肩の筋肉が凝り固まる。夕方、猛烈な筋肉痛に見舞われた。堪えるのがやっと。眠りにつくこともできない。
東京から携えていったロキソニンを服用すると痛みは和らいだ。薬袋にロキソニンまで入れてくれた女房に感謝した。
~終わり~
◇
《読者の皆様》
脱出ラッシュが続く一方で、残った人々は劣悪な環境のシェルターで息を詰まらせています。
田中龍作は踏み留まって、この戦争を伝え抜く覚悟です。
カードをこすりまくって現地取材を続けています。日本の口座への御寄付は、カード支払いの原資となります。何とぞ御願い申し上げます。↓