政府と自民党による中曽根元首相の合同葬が、きょう17日、都内であった。
故人の評価はさておき、血税を投じて営まれるのだから、国民目線で合同葬のもようを伝える必要があると考え、葬儀会場に向かった。
記者クラブやそれに準ずるメディアでなければ入れないことは百も承知だ。要はどうやって潜り込むかだ。
昨日16日、会場となる港区のホテルを下見した。表からがダメだったら、裏から入れるか。誰何されるとしたら、どこで止められそうか・・・などをチェックするためだ。
きのうは裏から入ったが途中でガードマンに見咎められ、「リボンは?」などと詰問された。当日の警備は相当に厳重であることが予想された。
きょう17日は、正面からタクシーで入ることにした。ホテルにつながる私道で警察から、10分間ほど止められ、誰何されたが、とりあえず玄関まで行けた。
「故中曽根康弘 内閣 自由民主党 合同葬儀場」。白地に黒色で書かれた巨大な看板が目に飛び込んできた。
記者クラブメディアは向かって右隅の一か所に集められていた。近くにいたりすると政府の役人にチクられるのが常だ。
田中は記者クラブご一行様がいる所から離れ、柱の陰で息を潜め、ここで取材を続けることにした。
小泉純一郎元首相、伊吹文明前衆院議長、石破茂元幹事長・・・お歴々が高級車で乗りつけた。民主党の菅(かん)直人元首相の姿もあった。
20分間も経った頃だろうか。ホテルの職員から、マスコミだまりの方に行くように要請された。
そちらに行くと、役人とおぼしき人物から「どちらの社の方ですか? 登録はしてますか?」と問われた。
田中は「いいえ。あなたこそ誰ですか?」と問い返した。役人とおぼしき男は「官邸報道室です」と麗々しく答えた。
「きょうは登録してなかったらダメです。ここから出て行ってください」とお上のご意向を示した。田中の命運はここで尽きた。
中曽根首相(当時)は国鉄を民営化し派遣労働を導入するなどした。日本人を貧乏のどん底に叩き落とす新自由主義を持ち込んだ張本人でもある。
盟友ナベツネ翁の弔辞が聞けなかったのは残念だった。
~終わり~