福島の原発事故があった2011年の年末、東電の勝俣会長宅そばの公園でハンストを決行した民族派右翼のY青年がいた。
水一滴も飲まない熾烈なハンストだった。48時間目あたりから体がフラフラするようになった。体温を計ったら34.4度しかなかった。低体温症である。
友人が救急車を呼んだが、Y青年は断った。その後、所属する民族派右翼団体の議長から「70時間を超えると死ぬ可能性がある。命令だ、止めろ」と言われ、泣く泣くハンストを中止した。
Y青年は意識が戻った後、田中に「死ぬつもりだった」と話した。
当時、この青年に毛布の差し入れをした人物がいた。のちに『日本会議の研究』で一躍注目を浴びることとなった著述家の菅野完である。
菅野は「学術会議人事への介入」に抗議して2日午後からハンストに入った。場所は官邸前。曲がったことには、相手がどんなに強大であろうが、面と向かって異を唱える菅野らしい。
ハンストはきょう午後7時で丸一週間を経過した。摂取するのは、水分と塩だけ。明らかに危険水域に入った。
田中は菅野に「Y青年は死ぬつもりだったと言ったが、あなたはどうか?」と尋ねた。
菅野は間髪を入れず「(私も)当然、死ぬ気ですよ」と答えた。「でも、なかなか(簡単に)死んでやるか」と加えた。
自分の命と引き換えにしても菅政権に一矢報いようとしている菅野は、国会日程をニラんでいるのである。
国会は23日(金)か26日(月)に召集され、28日から予算委員会となる見通しだ。菅首相入りで、NHKも中継する。当然、「学術会議人事の介入問題」が世間の注目を浴びる。
菅野は「28日か、29日に死ねたら本望」と言う。諫死だ。
菅野がここまで思い詰めているのは、学者や言論人の危機感が緩慢であるためだ。
今回の人事介入は、令和の滝川事件(1933年=昭和8年)とも呼ばれる。京大法学部の滝川幸辰教授の学説や講演内容が危険思想であるとして、文部省により免官された事件である。
滝川事件では、京大法学部の全教官が辞表を出し、法学部の学生全員が退学届けを提出した。
ひるがえって現状はどうだろう。学術会議の誰も辞表を書かない。大学の教官がストを打つのでもない。
学術会議の次に官邸は国立大学の人事に手を突っ込んでくるだろう。
「この状況を見て何も思わないんだったら(危機感を持たないのであれば)、学者だとか言論人(記者含む)だとか辞めちまえ」。目は落ちくぼみ頬はこけていたが、菅野は語気も鋭く語った。(文中敬称略)
~終わり~