文・写真 / 佐川由佳梨
大晦日の午後3時過ぎ、横浜市役所前から10分近く歩くと、150メートル以上にも及ぶ長蛇の列があった。列の先にあるのはドヤ街で有名な寿町の中心地、寿公園だ。
並んでいる人たちの目当ては、炊き出しだ。寒さに凍える路上生活者のために、この日は暖かい蕎麦1,200食が用意された。配食時間は午後3時1回のみ。去年までは昼食も出していたが、今年は1食だけとなった。
「寿町は医療制度が充実しているから」。20年ドヤ街を渡り歩いてきた男性(67歳・青森出身)は、山谷での生活が長かったが、今は寿町での生活が気に入っているという。
上京後、建設の仕事をしていたが体を壊したのでやめた。その後は生活保護を受けながらドヤ街で生活する。今は寿公園すぐ前の木賃宿で暮らす。杖をついており、しっかりとした医療を受けたいという。寿町は、訪問看護など医療のバックアップ体制が整っているのだ。
「寿のいいところは、街に溶け込んでるところだよなぁ」男性は公園を見渡しながらつぶやく。聞くと、山谷では制服警察官と私服が80人ほど張り付いており、路上生活者たちが近寄りがたい状況になっていたそうだ。少しでも騒ごうものなら、制止された。
寿町には一般住宅とドヤが混じり合った空気が流れていた。大阪の釜ヶ崎で感じる、一足踏み入れると別世界のようにガラッと変わる雰囲気とは違う。
人は何かのきっかけで貧困に陥る。家を持つ人と持たざる人。寿町はそれが隣り合わせだ。富める者と貧しき者が表裏一体となった現代の社会構造に似ている。繁華街の裏では、今夜も ひもじさ と寒さに震えながら毛布にくるまる何百人もの人がいる。
越年越冬闘争が終わるまで、あと3日。「生きることがたたかいだ」。
~終わり~