あの家の息子は今春、中学校に上がる。娘は高校2年・・・中選挙区制時代の政治家は、支援者の家族構成まで知っていた。
衆院選挙が中選挙区制から小選挙区制となって20年余りが経つ。最も顕著な変化は自民党議員がかつてほど民草の声に耳を傾けなくなったことだ。国の政策は人々のニーズと乖離するようになった。自民党が政権党である以上、当然そうなる。
中選挙区制の下では、政治家は民意に寄り添わねばならない。自民党のライバルが自民党であるからだ ―
例えば、ある選挙区で定数が3議席であったとする。自民党はそこに候補者を4人も5人も立てるのである。当時、社会党がまだ衆院に100議席以上持っていた。社会党の指定席が、1議席ある選挙区も珍しくなかった。
自民党は残る2議席を4人で争うのである。選挙戦は自ずと熾烈になる。選挙になってからではもう遅い。日頃から選挙区を耕さなければならないのだ。
票を獲得するには有権者のニーズを事細かに汲み取らなければならない。民草の声に耳を傾けなければ、選挙はおぼつかなくなるのである。「しがらみ」ができると言えばそれまでだが。
もう20年以上も前だが、田中は自民党A候補陣営に「オタクは(自民党)B候補に400票、負けてますよ」と教えた。
A候補の選挙参謀は「そんな訳ないじゃないですか。冗談言わないで下さいよ」と笑いながら否定した。
翌日、選挙参謀から電話がかかってきた。「念のために点検したら、アンタの言う通りだった」と。
400票負けていたA陣営は、投票が終わってみると逆に400票の差をつけてB候補に勝ったのである。
点検して巻き返すのだ。A陣営は地域であれば「丁目ごと」に、業界であれば「部会ごと」に細かくメッシュを切っていた。
農協と言っても一括りではない。ミカン部会、ナスビ部会、トマト部会、レタス部会・・・と産品ごとにある。それぞれの部会で支持する候補が違ったりする。
各地区、各部会の顔役を日頃からメンテしておかない事には、いざという時に点検できない。
A陣営はさすが竹下派だった。最後は田中角栄ゆずりの力技で巻き返したのである。
中選挙区制時代の自民党は、アキバで日章旗を林立させるようなことはしなかった。民草の声にしっかり耳を傾けていれば、ポピュリズムに頼らなくても選挙には勝てるのだ。
「しがらみのない政治」をキャッチフレーズにしていた、ポピュリズム政党は衆院選で大敗し、代表は就任から2ヵ月足らずで辞任した。民草と政治を結びつける「しがらみ」は必要なのである。
~終わり~