8月30日の二の舞は演じまいと警察は懸命だった。官邸からのお達しだったのだろう。杉田官房副長官は警察庁出身だ。
午後4時過ぎ。六本木通りから国会正門に向かう横断歩道には縦横に鉄柵が置かれた。参加者が国会正門方面に入って来るのを物理的に妨げるためだ。国交省前から斜め横断しても入れない。
それでも国会正門前は「安保法案」に反対する人々で一杯だった。集会開始時刻30分前の午後6時頃には、歩道は飽和状態に達していた。
子供連れ、高校生、北海道から沖縄まで全国各地から・・・ありとあらゆる人々が「安保法案」に反対して国会前に参集していたのである。
歩道は窒息者が出てもおかしくないほど鮨詰め状態だった。当然のように病人が出た。だが警察はしばらくバリケードを開けなかった。
「車道を開けろ」の連呼は「開けろ、開けろ」に変わっていた。連呼というより怒号だった。
午後7時23分から25分にかけ、警察のバリケードがあちこちで決壊した。
車道は見る見る間に人々で埋まった。機動隊の輸送車が議事堂正面を塞いだ。輸送車はすでに左右の歩道に配置されていた。参加者をコの字型に取り囲む格好だ。
“塀の中”となっても参加者の怒りはおさまらない。広い車道上に会場が幾つもでき、人々はコールをあげたり、スピーチをするなどした。
「アベはやめろ」「戦争法案いますぐ廃案」・・・夜空をつんざくコールは夜が明けるまで続きそうな勢いだった。抗議は最高潮に達していた。
午後8時。これからという時だった。主催者(総がかり行動)のアナウンスが響く。「これで私たちの集会は終わりです。帰る人は桜田門駅の方向に向かってゆっくり解散をしたいと思います・・・」。
8月30日と同じく主催者は帰宅を促したのである。
筆者のすぐ近くに南米を良く知る翻訳家がいた。彼女は主催者の解散宣言に憤った―
「なぜ主催者から帰れって言われなきゃいけないの? 私たちは自分の意思でここに来ているのに。怒りの爆発でしか世の中を変えることはできない。主催者が怒りをセーブする側に立ってどうするんだ?」
車道を埋め尽くしていた人の波は潮が引くように少しずつ減っていった。
午後10時。警察のスピーカーが「歩道にあがって下さい」と告げた。
幼な子を連れた母親たちは車道上にダイインして抵抗した。学生や青年たち約20人は座り込んだ。
「歩道に上がって下さい」。警察はさらに音量を上げて呼びかけた。指揮車は赤いランプを点滅させながら迫ってくる。
班長格の警察官が座り込みの学生に「すでに2度警告したからな」と居丈高に告げた。「3度目は逮捕」という意味である。
車道が人で埋まっていれば、警察といえどもこんなことはできない。
参加者に帰宅を促す主催者は、警察に手を貸したに等しい。ツイッター上には主催者(総がかり行動)を批判するコメントが溢れた。
「権力に従いたくないのに主催という権力をふりかざしていた」。ダイインした母親は目に涙をためながら歩道にあがった。
主催者の終了宣言は「どうぞ強行採決して下さい」と言ったようなものだった。
~終わり~
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