「看板に偽りあり」。これほど実態と名称がかけ離れた記念日もない。「主権回復の日(※)」のことである。
日本政府の対米追従姿勢は基地問題などをめぐって批判を浴び続けてきたが、ここにきて政府は、日本を丸ごと米国に売り渡す恐れさえあるTPPに猛進し始めた。
「売国政権」などといった汚い言葉をネット上で見かけない日はない。不釣り合いな「主権回復の日」式典なるものを、やぶから棒に挙行する安倍政権に人々は戸惑うばかりだ。
式典会場の憲政記念館周辺は、朝から厳重な警備態勢下に置かれた。「主権回復の日」に反対する民族派右翼は、同館前で抗議のシュプレヒコールをあげようとしたが、警察により排除された。
統一戦線義勇軍の針谷大輔議長は、反対の理由を次のように話す―
「沖縄の人々の思いをないがしろにして主権回復はない。北方領土も返還されていない。対米追従で主権回復というのはおかしい」。
会場近くで約50人が日章旗を振り、天皇皇后両陛下を迎えた。「チャンネル桜」の呼びかけなどで集まった人たちだ。終戦の日、大挙して靖国神社を訪れる伝統的な愛国者たちとは一線を画した。
米軍基地を押し付けられ、いまなお半植民地状態に置かれる沖縄への配慮を欠いた「主権回復の日」に反対するのは、いわゆる左の勢力も同様だ。
日比谷公園では抗議集会が開かれた。タイトルは「沖縄を切り捨てて何が “主権回復”か」。(主催:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
集会では沖縄青年同盟の本村紀夫さんがスピーチした。本村さんは沖縄返還の批准を審議していた衆院本会議の傍聴席で爆竹を鳴らし逮捕された経験を持つ―
「米国が作った憲法を変えると息巻きながら米国には何も言えない。米国の言うがままの属国に成り下がっている。それで主権回復とはヘソが茶を沸かす…(中略)…オスプレイを強行配備し沖縄が怒りにふるえている最中に“主権回復の日”と言うのか」。
政府主催の記念式典には天皇皇后両陛下が臨席した。「天皇の政治利用」と批判する向きは少なくない。
昨年11月沖縄を訪問した天皇陛下は、多くの住民が犠牲になった沖縄戦について「段々時が経つと忘れていくということが心配されます。(沖縄の痛みを)日本人全員で分かち合うことが大切ではないか」と述べた(12月24日、誕生日記者会見)。
沖縄は昭和天皇が統帥していた日本軍から犠牲を強いられ、戦後も日本を事実上統治する米軍に蹂躙されてきた。
こうした歴史的経緯もあり、平成の天皇は沖縄に心を砕いていると伝え聞く。きょうの式典で「お言葉」がなかったのは頷ける。
安倍政権がでっち上げた「主権回復の日」は、右にも左にも反対され天皇からも「ノーコメント」の対応をされたのである。
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(※)主権回復の日
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は国際法上独立国となった。連合国への全面降伏(1945年)から7年ぶりに主権を回復した。