ほぼ2ヵ月続いた「原発ゼロ」が終わった日は、国家の暴力により縁どられた。
30日午後から大飯原発入口の封鎖を続ける再稼働反対派の市民は疲れ切っていた。夜通し降った雨は、1日午後2時頃まで止まなかった。雨と機動隊とのニラミ合いで体力を消耗した反対派の面々に、京都や東京などから駆け付けた女性たちが炊き出しのサービスを始めたのが午後4時過ぎだった。
ピザ特有のチーズが焦げたような香り、味噌汁の匂いが食欲を刺激する。
皆ひとしきりパクついた頃、異変が起きた。機動隊が増強されたのである。海側と山側の両方から反対派を挟撃する形になった。大飯原発は山の向こう側にある。
機動隊はさらに増強された。海側と山側の両方合わせれば総勢で200人はいるだろうか。黒いヘルメットが不気味に光る。午後5時を回った頃だった。強化プラスチックの盾を持った山側の機動隊が前進を始めた。
反対派は両手をあげて非暴力で対抗するが、柔剣道の猛者が揃う機動隊のパワーにジワジワと押し込まれた。それでも両手をあげたまま抵抗を続けた。膠着状態が暫く続いた。
一方、海側の機動隊はダイインの市民たちを次々とゴボウ抜きにしていった。ピザをふるまっていた母親も手足をつかまれ引きずり出された。
パーカッションのリズムと「再稼働反対」のシュプレヒコールが夕空に響く。夜のとばりがすっかり降りた午後9時、再起動のスイッチが入った。ほぼ同時に山側の機動隊がなだれ込んだ。反対派の市民たちは次々となぎ倒されていった。
原発を地震多発国の日本に54基も作ったのは自民党だが、福島原発事故の検証もまだ終わっていないのに原発を再稼働したのは民主党である。
「コンクリートから人へ」をうたい文句に政権の座についた民主党が、ここまで国民の健康と生活をないがしろにする政党であると誰が予想しただろうか。
原発ゼロが終わった日は、民主党が終わった日でもある。
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