再稼働反対派と機動隊の攻防から一夜明けた2日朝、大飯原子力発電所のゲートにはいつもの光景が戻っていた。出入りする車両をガードマンが入念にチェックする。関連業者を乗せたタクシーや原発作業員を積んだマイクロバスが次々と構内に吸い込まれて行った。
反対派が自家用車を並べるなどして築いたバリケードは、跡形もなく撤去されている。つい10時間前まで、ここで原子力村と庶民の戦いが繰り広げられていた。それがまるで嘘のようだ。
政治権力は警察やマスコミを使い、反原発を唱える人々を極左暴力集団扱いしてきた。左翼と言われる勢力が反原発を自らの運動の“道具”に使っていたことも事実だ。
だが福島の事故を経て、局面は大きく変わった。普通の父ちゃん、母ちゃん、お兄さん、お姉さんが、気軽に「原発は要らない」と口にし、集会やデモに参加するようになったのである。
30日午後から2日未明まで大飯原発の入口に集まった人々は、最後まで非暴力で機動隊に抵抗した。たとえなぎ倒されようとも。
反対派がOccupyした一角では「命を守れ」のシュプレヒコールが繰り返された。生命創造のシンボルとも言える男根の御神体が登場し、祭りの様相を呈した。イデオロギーよりも生活なのである。
政治闘争につきまとうアジ演説もない。あるのはパーカッションの情熱的なリズムだ。NYを中心にアメリカ全土で続くOccupyのノリを思わせた。
「再稼働するのだろうが、皆の目が変わるまで(反原発運動を)やる」。京都から駆け付けた母親は、けれん味なく言った。
大飯原発の入口は反対派による封鎖が続いていたため、再起動に立ち合う牧野聖修経産副大臣は、渡し船で海から入構する他なかった。
たかが大型湯沸かし器のために国民の健康や生活を犠牲にする野田政権。原発を停めるのはイデオロギーではない。健康な生活を願う庶民たちの祭りにも似た情熱である。
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