原発事故をめぐる東電の不誠実な対応に抗議して勝俣恒久会長邸(新宿区左門町)近くの公園でハンストを続けていた山口祐二郎さん(26歳・雑誌ライター)は1日未明、ハンストを断念した。山口さんが所属する民族派右翼「統一戦線義勇軍」の針谷大輔議長の説得に諦めざるを得なかった。
山口さんは30日零時から一滴の水分さえ摂らないハンストに突入した。「大規模な事故を起こしていながら責任を取ろうとしない東電の態度に義憤を覚えたためだった」(山口さん談)。
山口さんは当初、勝俣会長邸前でハンストを決行する考えだったが、四谷警察署による強引で狡猾な誘導により、すぐ近くの左門町公園に移動させられた。山口さんは公園から1日3~4回、支援者と共に勝俣邸前に“出撃”し、抗議のシュプレヒコールを挙げていた。
寒さに加えて水分を補給しないハンストにより山口さんは、体力をみるみる失っていった。ハンスト開始から45時間を過ぎた頃から体がフラフラし始めた。31日夜10時30分頃、体温を計ったところ34・4度しかなかった。低体温症である。山口さんは「体が冷たくなっていた」と当時を振り返る。
30分後の11時、友人が呼んだ救急車が到着したが、山口さんは断った。
1日午前零時、針谷議長が左門町公園を訪れ、ハンストを止めるよう説得を始める―
「周りに迷惑をかけるな。70時間を超えると死ぬ可能性がある。命令だ、止めろ」。
「続けたい」。
――約30分間、押し問答が続いた。山口さんは初志貫徹しようとしたが、針谷議長の説得に折れた。
山口さんは針谷議長が用意していた新宿区内のホテルに運び込まれた。砂漠が水を吸い込むようにポカリスエットを飲んだ。小便に行った後、泥のように眠った。
山口さんは筆者の電話インタビューに「(ハンスト断念は)無念、納得がいかない」と答えた。
水分を摂らないハンストに友人、知人は「水だけでも飲まなきゃだめだ」と忠告していた。
山口さんは口癖のように反論していた―「僕が傷つかなきゃ、(抗議の)効果があがらない。これは自己犠牲なんだ」。
国家さえも支配下に置く東電から、住民はまともな補償を得ることができない。ばかりか、利用者は電気料金の値上げ、国民は消費税増税を押し付けられる。諦めムードが漂うなか、東電の最高権力者に対して体を張って抗議した山口さんの行動は、静かだが広い波紋を広げた。
政治スタンスでは対極に位置する「赤旗」の記者が取材に訪れていた。経産省前のテントで座り込みを続ける市民運動家からもホッカイロの差し入れが届いた。
山口さんはヤッケも着ない薄着で、最初はテントさえも拒否していた。かすかに漂う殺気が印象的だった。筆者が「死ぬつもりだったでしょ」と聴くと、山口さんは「死ぬつもりだった」と答えた。殺気は自らに向けていたのである。
針谷議長の説得がなければ落命するまでハンストを続けていただろう。原発事故と無責任な政府の対応、立ち上がろうとしない羊のような国民……。いびつな日本国家と日本社会が一人の青年をここまで追い詰めた。