軍は今回もしたたかだった。議会選挙の延期を求めて学生をはじめ若者たちがタハリール広場や政府庁舎前を占拠したが、盛り上がらないと見るや、予定通り選挙の実施に踏み切った。
30年間に及んだムバラク独裁を倒した前回(1~2月)の民衆蜂起と今回の“占拠騒動”を比べると、「大火」と「ボヤ」くらいに違う。
10か月前を振り返るといまだに身震いがするほど緊張する――
先ず、入国が一苦労だった。週刊誌などで有名な日本の人気カメラマンは空港で商売道具のカメラを没収された。筆者は間違ってもジャーナリストと気付かれないように工夫した。赤いヤッケを羽織り、花柄のボストンバッグを持った。
カイロ市内の主要交差点には戦車が置かれ、通行車両を検問した。自警団も辻々で車を止めた。筆者が投宿するホテルの玄関前には戦車が横づけされていた。検問を受けるのが嫌で毎度、裏口からホテルに入っていたのを思い出す。
政府施設などを撮影したのを見咎められカメラを没収されそうになったことが幾度もあった。現地コーディネーターが上手にとりなしてくれ、メモリーカード提出で難を切り抜けた。5枚は軍に取り上げられただろうか。
軍の兵士がホテルの部屋に踏み込んでくるのではなかろうか、といつも身構えていた。実際、タハリール広場のもようをライブ中継していたアルジャジーラは、警察に踏み込まれている。
軍のヘリコプターが四六時中、タハリール広場上空を旋回した。プロペラの重低音が今も耳に残っている。カイロ市内の緊張が高まれば高まるほど、民衆は昂揚した。
建設現場の労働者たちは戦車のキャタピラに背中や頭を寄せ、タハリール広場を守った。午後ともなると仕事を終えた人たちが続々とタハリール広場に押し寄せた。連日、10万人を超す人民の海が広場を埋め尽くしたのである。蜂起から18日後、ムバラク大統領は辞任に追い込まれた。
この間、軍は民衆にいっさい手出しをしなかった。民衆が腐敗しきったムバラク政権を追い詰めるのを静観し利用した。軍は市民革命を「乗っ取った」のである。
(つづく)