拙稿「可視化は特捜から・・・」(11月18日付・田中龍作ジャーナル)をめぐって某大手紙のA記者から抗議のメールが届いた。
A記者が問題にする拙稿のくだりは以下である――会議が終わった後、可視化に関する記者クラブメディアの認識のなさを露呈する出来事があった。某大手紙の記者が議連会長の川内博史議員に「可視化議連の設立はいつですか?」などと質問したのである――
これに対してA記者は次のように抗議してきた――私が川内氏に質問したのは「可視化議連の狙いと設立に至る問題意識を教えて下さい」です。(中略)不十分な取材に基づく記事を公表されることには、同じ記者としてはいささか、その姿勢に疑問を感じます――
『言った、言わない』の水掛け論になるのでセリフのひとつひとつまでは問題にしないが、A記者が主張する質問内容の方が拙稿のくだりよりもっとレベルが低い。
可視化議連の設立は自紙の虚報が発端
検察リークを鵜呑みにした自紙の虚報を考えれば「可視化議連の狙いは」などとは口が裂けても質問できないはずだ。A記者はそれさえも自覚していないのだろうか。
可視化議連の第1回目会合は今年1月28日。小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、石川知裕議員が政治資金規正法違反で逮捕された直後である。
新聞・テレビは検察のリーク垂れ流し状態だった。1月25日、A記者の所属する某大手紙は夕刊で次のように伝えている。①石川議員の手帳に、「水谷建設」側が石川議員に現金を渡したと供述しているホテル名が記載されていることが関係者の話でわかった。②水谷建設の元幹部が04年10月15日に全日空ホテル(東京・港区)で石川議員に5千万円を渡したと供述している。特捜部が押収した石川議員の手帳には04年10月15日の欄に『全日空』と書かれていた。
贈賄側が供述している現金授受の場所が、供述通りの日付で石川議員の手帳に記載されているというのだ。実によく出来た話である。出来過ぎだ。
案の定、翌日の朝刊で『訂正』が出た。ホテル名の記述があるのは2004年10月15日ではなくて05年4月の誤りでした、というものだ。
虚報は5段抜きでデカデカと報じられたが、訂正記事はケシ粒ほどだった。よっぽど新聞を丹念に読む読者でない限り、小さな訂正記事など気に留めない。大概の読者は「石川議員は04年10月15日に全日空ホテルで水谷建設から5千万円もらってたんだな」と頭に擦り込まれたままだ。この新聞社だけでなくいずれの社も訂正記事は実に小さい。
石川議員の手帳の内容と水谷建設元幹部の供述を知りうるのは検察だけだ。自らに都合がいいように創作して記者にリークする。そうして政治的に屠ってしまえば、被疑者(後に被告)といくらでも取引きできるのである。
デタラメな検察リークを受けて虚報を垂れ流し、訂正は目を凝らして見ないことにはどこに載っているのか分からない。読者への裏切りである。石川議員に対する名誉毀損にもあたる。
取り調べが可視化されていれば、こうしたことは起きない。可視化議連の第1回目の会合が開かれたのは、某大手新聞の上記の虚報が出た3日後のことだった。間もなく拘留満期を迎え保釈されるであろう石川議員を次回の会合に呼び、リークの実態を明らかにしてもらうことが決まった。
「可視化議連の設立に至る経緯と問題意識」は、A記者が所属する大手新聞社の虚報にあったのである。
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