イスラム原理主義勢力タリバーンとパキスタン政府軍の戦闘激化で同国北部から大量の避難民が発生しているようだ。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によればスワート地区では住民20万人が同地区を逃れ、さらに30万人が脱出を窺っている、という。戦闘激化以前にも55万人が住み慣れた街や村を後にした。
「戦域がアフガンからパキスタンにまで広がった」などとする見方があるが、それは違う。タリバーンが戻って来ただけだ。タリバーンは元々パキスタン北西部の神学校で輩出され、90年代の内戦真っ盛りのアフガンに続々と投入されていった。
「カブール陥落」(2001年末)間もないペシャワルで筆者は元タリバン兵という青年に会った。「兄はまだトライバルエリア(部族地帯)にいる」、青年は涼しい顔をして話した。
「カブール陥落」は、米軍と日本も含めた西側のマスコミの早合点だ。タリバーンはアフガン-パキスタン国境の部族地帯に一旦兵を引いただけなのである。現在のNATO軍の劣勢とタリバーンの攻勢を見れば、改めて言うまでもないことだ。
「アフガンの安定はパキスタン(部族地帯も含む)の安定から」という米国の勝手な理屈で、パキスタンへの経済支援を強化することになり、4月17日、東京でパキスタン支援国会合が開かれた。翌日、米国のホルブルック・アフガン・パキスタン担当特使が都内で記者会見し、「(参加各国合わせて)年50億ドルの援助表明があった」と誇らしげに語った。
パキスタンのジャーナリストが特使に質問した。「パキスタンを同盟国というのならなぜ部族地帯を空爆するのか?」
ホルブルック特使は嫌な顔をし質問には答えなかった。記者会見の後、筆者はそのジャーナリストに話を聞いた。
彼が言いたかったことは要約すればこうだ――米国は「50億ドルは空爆の慰謝料」「貧国は、頬を札束でひっぱたけばどうにでもなる」と認識しているのではないだろうか。
米国の思惑に反して主戦場は、アフガン→部族地帯→パキスタンと確実に東に広がっている。昨年末、ムンバイで起きたテロ事件は、インドまで火の粉が飛んでいることの証だ。
核の管理がズサンなこの地域が戦場と化してしまえば、核がテロリストの手に渡るという最悪のシナリオも視野に入れなければならない。