2001年、ユダヤ民族の聖地エルサレムでヒトラーの愛したワグナーが演奏され大騒動になった。嵐のようなブーイングが起き、ホロコ-ストを生き残った老人がおもちゃのラッパを鳴らしたりして、コンサート会場は大荒れだった。
タクトがユダヤ系指揮者のバレンボイムだったので、かろうじて上演できたのかもしれない。それでも当時エルサレム市長のオルメルト(現首相)は「野蛮で恥ずべき行為」と言葉を極めている。
これには伏線がある。バレンボイムは親パレスチナの音楽家として有名で「ガザと西岸の占領地をパレスチナに返せ」という考えの持ち主だ。「ホロコーストで我々の祖先が味わった悲惨な体験に思いを致せば、パレスチナの人々に同様のことをしている」と発言したこともある。筋金入りの平和主義者と言えよう。
この国は音楽一つとっても複雑な問題が絡む。ミーハーの筆者はきらびやかなカラヤンが好きなのだが、カラヤンのCDは旅行カバンに入れなかった。これもヒトラーが愛した指揮者だからだ。検問所での所持品検査で摘発されたら、ガザに入れなくなり取材そのものができなくなることを、小心者の筆者は恐れた。
代わりに持って行ったのは、ユダヤ系ピアニスト、ルービンシュタインのCDだ。オーケストラはイスラエルフィルときている。ルービンシュタインは「シオン主義者」だった父親の影響により、イスラエルで演奏する時は公演料を取らなかった、という。
シオン主義(シオニズム)とは、「流散の民となったユダヤ民族よ、シオン(エルサレムの古名)の地に帰還しよう」という思想だ。19世紀末(1897年)にはスイスのバーゼルで「第1回シオニスト会議」が開かれ「パレスチナの地にユダヤ民族の国家を建設する」という綱領が採択された。
エルサレム旧市街地の「シオンの丘」に立つと、ユダヤ民族の聖地中の聖地である「嘆きの壁」とイスラム教徒の3番目の聖地「アルアクサ・モスク」がワンフレームに入る(写真)。
石段に腰を降ろしルービンシュタイン、イスラエルフィルよる「ブラームス・ピアノ協奏曲第1番」を聴いた(PCとヘッドフォンで)。音の一つ一つがたとえようもなく哀しい。悲劇の歴史を持つユダヤ民族に刻み込まれたDNAが紡ぎ出すのだろうか。他の演奏家と同じ音階、同じリズムを叩いているのだが、音色がせつない。
何十年か何百年か後にパレスチナ人音楽家が同じ曲を演奏したら、どんな哀しい音色を響かせるのだろうか。
シオンの丘にそよぐ風はオリーブの香りを含んでいた。