イスラエルによる事実上の軍事占領が続くパレスチナ自治区(ガザ、西岸)では、親イスラエル路線を取る「ファタハ」と強硬派の「ハマス」が激しく火花を散らしている。
2007年にはガザで両組織が半年間にわたって武力衝突し、双方で800人の死者を出したほどだ。占領される者同士で殺し合うのだから悲劇という他ない。
24日、ガザの「アル・クワッズTV」が記者会見を開いた。アル・クワッズは、「ハマス」と「イスラム聖戦」が共同で運営するテレビ局だ。会見内容は、西岸で政権を握るファタハが、ハマス系と見られるジャーナリスト2人を逮捕したことに抗議するものだった。
会見場にはカメラがずらりと並びペン記者も多数出席した。最前列でメモを取る女性記者がいた。ハマスが発行する「リサーラ」紙のヤスミン・サガラ記者(写真・23歳)だ。ヤスミンさんは「占領の現実を世界に伝えたくてジャーナリストの道を選んだ」と話す。
戦闘が終わっても、晴れた日にはイスラエル軍のF16戦闘機や無人偵察・攻撃機が上空を舞う。不穏な動きがあれば爆撃される。それを取材するジャーナリストは、危険と背中合わせだ。
「なぜ危険な職業を選んだのか?」とヤスミンさんに聞くと「国のために犠牲となりたい」と答えた。「武装闘争を続けるハマスはどう思うか?」との問いには「ハマスは我々の国を守っている」ときっぱり。
勇ましい言葉が続くが笑顔を絶やさない。自然体だ。生まれついた時から占領に対する武装闘争が当たり前のものとしてあった環境がそうさせるのだろう。
やや引いた場所で取材を続けていたのは、「アルアクサTV」のバハ・アルグール記者(写真・23歳)。アルアクサTVもハマスが運営する。アルグールさんはエンジニアだったが、ジャーナリストに転身した。転身の理由はヤスミンさんと同じく「占領に対する我々のメッセージを世界に伝えるため」。
戦闘期間中は、病院に搬送された負傷者や街頭の市民にインタビューした。砲弾をかい潜っての取材だ。「タクシーに乗ると空爆の標的になりやすいので、ひたすら歩き回った」と話す。
弱冠23歳、記者歴わずか2年で「動き方」を心得ているアルグール記者だった。
ヤスミン記者とアルグール記者のようにハマスに活躍の場を与えられたジャーナリストもいる一方で、ハマスによって職場を失う記者もいる。ニベール・ハジョさん(写真・30歳)は、ファタハ系のテレビ局に勤めていた。
だが2006年の総選挙で、ガザの政治権力を握ったハマスがファタハ系のテレビ局を閉鎖したため、ニベールさんは職を失ったのだ。ニベールさんはめげずに別のテレビ局に再就職し、現場を飛び回っている。
ニベールさんは現在、ガザで最も厳しい現場を取材している(なぜ厳しいのかは帰国後、報告する)。錯綜する多くの証言の中から事実を抽出しなければならない「大きな事件」が発生した現場だ。ニベールさんの取材成果の一端をうかがったが、しっかりとツボを押さえていた。
占領と血生臭い組織対立という二重の重荷を背負うガザのジャーナリストたちは、何をどう取材し、どのように伝えるかをしっかりと把握していた。