【カブール発】 首都カブールからほぼ真北に向かって2時間半ほど車を走らせるとバグラム空港に着く。米軍の爆撃機や攻撃ヘリが轟音と共に頻繁に離着陸する。アフガニスタン戦争(2001年)の際から米軍の航空戦術の要となってきた。「バグラム・エアポート」と地元民は呼ぶが、「バグラム米軍基地」といった方が正確だろう。
基地からわずか1~2kmほど離れた広大な空き地に、米軍車両の残骸が所狭しと置かれている。アフガニスタンでの米軍の苦戦を雄弁に物語っているようだ。
カメラのシャッターを押し始めて2~3分も経っただろうか。カラシニコフ自動小銃を手にした男が何やら叫びながら近づいてきた。銃倉を何本も積め込んだベストを身にまとっており、本気であることがわかる。
商売根性丸出しの筆者は、ジャスチャーで「あなたの写真を撮ってよいか?」と尋ねたが、返事はなかった。男は冷たい目でにらみつけたままだ。人差し指は引き金にかかっている。筆者とドライバー、通訳の3人は這う這うの体で逃げた。
男が何を叫んでいたのか、通訳に聞いた。「撮影はやめろ。さもなくばお前を誘拐して、家族に身代金を要求するぞ」ということだった。
元ムジャヒディーン(聖戦士)も今は米軍車両の残骸をくず鉄として売り、生計をたてている。それを撮影したことで、ムジャヒディーンのプライドを傷つけたのだろう。
バグラム基地正門周辺には小さな商店がひしめく。間口一間足らずの衣料品店、肉屋、食料品店などがびっしり並らぶさまは市場のようだ。ある日用雑貨店に入ると、軍靴、アーミーナイフ、オイルライター、双眼鏡など米軍仕様の品物が幾つも揃っていた。
店主のアブドラ・ワヒドさんに「どこから仕入れたのか?」と聞いた。「米兵から」と答えた。横流しは万国共通だ。尋ねるべくもなかった。
今年7月、基地正門のすぐ脇(ワヒドさんの店の裏手)で自爆テロがあった。報道では「自爆テロがありISAFに死傷者が出た」と伝えられていた。
ワヒドさんはこれを憤る。事件発生時、現場にただ居合わせただけの地元住民20人が、米兵により射殺されたという。「かつてだったら村あげて報復に出たが、今は(カルザイ政権と米軍により)武装解除されているため反撃できなかった」。ワヒドさんは悔しがる。ワヒドさんはマスード派のムジャヒディーンだった。
そんな米兵の品物をどうして売っているのか?少し意地の悪い質問をした。
「子供たちを食べさせていかなければならないからね」。ワヒドさんには7人の子供がいる。7人とも育ち盛りだ。さしもの元聖戦士も、「反米」よりも先ず「生活してゆくこと」なのだろう。米軍車両の残骸を売る男も然り。
バグラム基地周辺での取材を終え帰路に着いた。カーラジオから流れるニュースは、「南部のウズルガン州で自爆テロがあり、NATO兵士5人が死亡した」と伝えていた。現場にただ居合わせただけの地元住民数十人が、また米兵から射殺されたのだろうか。バグラム基地脇と同じように。