沖縄平和運動センターの山城博治議長がよく口にする。「市民が500人以上集まれば機動隊は手出しができない」と。
米軍北部訓練場メインゲート前で行われた、きょうの抗議集会は山城議長の言葉どおりとなった。
午前5時30分、東村役場近くを出発した地元住民と市民らの車列は1.7kmにも及んだ。夜明け前の暗がりを走る車のテールランプがオレンジの川のようになった。
30分近く走って米軍メインゲート前に着くと機動隊がびっしりと配備されていた。カマボコが周囲を威圧した。
「(7月)22日の暴力的排除で心が壊れそうになっていたが、もう一度立て直そう」と呼びかけた。
出発前、山城議長は「反転攻勢だ」と気合を入れていた。7月22日は圧倒的な力の差で10年間守っていたN1ゲート前の砦を破られた。その日を境にヘリパッド建設予定地に大量の資材が搬入されるようになったのである。
あの日の屈辱を山城議長も住民・市民も胸に刻んでいた。「もう一度立て直そう」の呼びかけに皆、奮い立った。
名護警察署長名で「座り込みを解くように。さもなくば規制する」と警告されたが、ひるまなかった。
きょうは地元住民と市民がセンターライン近くに立った。長さは数百mにも及んだ。
日頃は機動隊がセンターラインに並び、基地反対住民・市民の車列を袋のネズミにする。最前列に車止めを置き、最後尾は警察車両で塞ぐのである。
きょうはその逆だった。住民と市民の列は、いつもの機動隊の列より何倍も長い。砂利を満載したダンプカーの車列が来ようものなら、警察車両ごと包囲されるだろう。
山城議長は午前10時、抗議集会を解いた。午後1時から福岡高裁那覇支部で「辺野古の埋めたて承認取り消しをめぐる裁判」が結審するからだ。
ダンプカーの車列は前後を警察車両に守られて走るためノロノロ運転となる。採石場から建設現場に着くまで2~3時間を要する。
少なくとも午前中の建設工事は阻止できた。だが裁判のため、午後になるとメインゲート前の住民の数は100人ほどとなった。
住民・市民側の数が少なくなると機動隊は本領を発揮する。たちまち強制排除が始まり、工事用のダンプカーを通過させた。
きょうの抗議集会は500人いればヘリパッド建設を阻止できることを証明した。
山城議長は今後も毎週1~2回のペースで、きょうのような大規模抗議集会を開くことを明らかにした。
工事を遅らせて3月に持ち込めば天然記念物ノグチゲラの営巣期にあたるため、6月まで重機を使った工事はできなくなる。
工事の大幅な遅れは、中断そして中止へとつながる可能性がある。住民らの力が世界最強の軍隊の基地建設を阻む。
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