文・辻井裕子 / 主婦
最近、保育所問題や子育て支援の有り方が話題となっている。
「こうした重大な問題を看過していると、日本は必ず後悔することになる」と、私も随分前から警鐘を鳴らしてきた一人だ。
子どもは、母親にとって自分の命よりも大事な宝物だ。だから、いつだって、母親は、大事な宝物を守り育てるために粉骨砕身している。
国にとっても、子どもは次世代を担う大事な宝であるはずだ。しかしながら、恥ずかしいことに、「先進国の中で最も女性の地位が低い」と言われている日本では、なかなか抜本的な構造改革は進んでいない。
日常的に、ママチャリの前と後ろに幼い子どもを乗せて奔走するお母さんや、ベビーカーを押して買い物をするお母さんとすれ違うたびに、我が子が幼かった頃を思い出さずにはいられない。
外出するたびに、幼い子どもと必ずセットで持ち歩かなければならないものが山ほどあった。
数回分のミルクや哺乳瓶、お湯をたっぷり入れた魔法瓶、離乳食やおやつ、オムツやお尻ふき、着替えやガウン、グズッた時用に子どものお気に入りのオモチャなどなど。荷物はいつも、ズッシリと重かった。
また、公共交通機関や飲食店など、利用しづらいところが多かったため、出かけるたびに大変な苦労をしたものだった。
エレベーターが設置されていない場所は、子どもを乗せたままベビーカーごと抱え上げ、長い階段を上り下りしたこともしばしばだった。時には、背後から物凄い勢いで階段を駆け下りる人が、ベビーカーを抱えた私にぶつかってきたことも。
しかも、あわや転倒しかけた私たちに対して、「すみません」の一言もない人も少なくなかった。
子どもを連れて出かけるのは、命がけだと実感したものだ。だから、出来る限り外出は控えていた気がする。
子どもが歩けるようになったらなったで、予測を裏切って動き回るため、今度は目が離せなくなる。
何をするか分からないのが子どもだ。また、何の前触れもなく突然体調が悪くなるのが子どもだ。そんな子どもを、世話をしてくれる人のない部屋に置き去りにして仕事に出かけることは、ある意味、殺人行為。
仕事を持つ母親にとっては、預かってくれる施設が見つからなければ、仕事を辞めるしかない。そうなると、当然、生活が困窮する。子どもを守り育てるために、生活を支えるための手段である仕事を辞めざるを得ないなんて、本末転倒な話だ。
これでは、まるで自民党政権と官僚が、「日本の将来を担う次世代は、金持ちの子どもだけで十分だ。貧乏人の子どもは不要だ」と言っているに等しい。子どもたちは、社会的に等しく愛され育まれるべき存在のはずだ。
子どもたちを大事にしない国が、栄えたためしはない!
~終わり~