朝6時、高江のヘリパッド(ヘリ離着陸帯)建設予定地まで北へ約10キロの地点で反対派住民と共に防衛局、警察、建設会社の車両が来るのを待った。砂浜に押し寄せる波の音が、朝焼けの空に静かに響く。
車両が来たら彼らの前方を法定速度(40キロ)でノロノロと走り、進行を遅らせるのである。ここからさらに10キロほど手前に見張りがいて、関係車両の通過を携帯電話で知らせてくる。単独で来た建設会社の小型トラック、ワゴン車を見送った。
1時間ほど待ったが、大量の資材を積んだ大型トラックが、警察と防衛施設局の車両に伴われて来ることはなかった。筆者は反対派のメンバーと共にヘリパッド建設が強行されようとしている高江の現場に向かった。
建設予定地は6か所。その内の一つである「N4地区」と呼ばれるヘリパッド予定地の入り口と米海兵隊北部訓練場メインゲートが“主戦場”となっており、2008年から住民や支援者の座り込みが続いている。
北部訓練場のメインゲートが“主戦場”になっているのは、ここから建設資材が運び込まれるからだ。すでに1,000トンの土砂が搬入されたと見られている。
携帯電話は圏外で通じないため、反対派のメンバーはトランシーバーで連絡を取り合う。「土砂を積んだ10トンダンプがメインゲートに向かった」。トランシーバーのスピーカーから急を告げる声が響いた。
メインゲート前で反対派20人余りがダンプカーを取り囲む形となった。自然保護団体や地元住民が求めた環境影響評価を経ず、建設資材を搬入する強硬姿勢は認められないとして通さない構えだ。運転手と反対派のやりとりが暫くあったが、結局ダンプカーは引き返さざるを得なかった。
高江のヘリパッド建設は、米海兵隊員による少女暴行事件を機に結ばれた「SACO(日米特別行動委員会)合意・1996年」に由来する。沖縄の負担を軽減するために米軍基地を整理縮小しようというのが謳い文句だった。
ところが沖縄本島北部に分散していたヘリパッドは、人口わずか160人の東村高江の集落を取り囲むような形で移動・新設されることになったのである。
高江は東南アジアのジャングルに似た低い尾根が幾重にも連なる。米軍の訓練には好都合だろうが、住民は計り知れない恐怖を覚える。
ここに来てオスプレイ配備がくっきりと輪郭を表してきたため、問題はより先鋭なものとなっている。沖縄では高江にオスプレイが配備されることは、自明の理と受け止められていたが、日本政府は曖昧にしてきた。
野田首相は7月24日の参院予算委員会で「高江のヘリパッドはオスプレイの使用を前提としたものではない」と答弁したほどだ。だが翌25日、玄葉光一郎外相の記者会見で筆者が追及したところ、7時間後に外務省から文書で回答があった―
「現在(高江に)建設中のヘリ着陸帯は、建設完了後、MV-22(オスプレイ)の訓練にも使用され得るものと承知しています」という内容だ。(7月25日付け拙ジャーナルに掲載)
「強硬姿勢」と「曖昧な返答=情報非開示」が、沖縄基地問題に対する日米両政府の常套手段だった。原発問題同様、それらはもう日本国民に通じなくなっている。
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