デモ・集会の写真の撮り方が変わろうとしている。労働組合や政治団体のノボリが林立し、参加者は教条的なスローガンを書いた横断幕を持って歩く―デモ・集会を撮影する際のお決まりのショットだった。
『さようなら原発10万人集会』(主催:同実行委員会)がきょう代々木公園で開かれた。メイン会場には大規模集会につきものの特設ステージができ、有名人が入れ替わり立ち替わり登壇した。
組織の全国動員もあり数万規模の人々が参集した。体力に劣る子供や中高年も炎天下に身を置き、登壇者の演説に耳を傾けた。熱中症にかかった人はいないだろうか。
会場を仕切っていた「原水禁」の職員は、この上なく横柄だった。メディアに対してステージから会場を撮影することを認めたのは、集会が終わった後である。参加者のほとんどは会場を離れる支度にかかっているのだ。
政治団体には見切りをつけた。誰もが参加できる市民団体のデモを追うことにした。先頭集団の一角にカーニバルを彷彿とさせる隊列があった。まるでパレードだ。
サウンドカーと音楽隊が先導し、スローガンも「原発反対・再稼働反対」だけ。健康で平穏な生活。人間として当たり前のことが原発によって脅かされている。脱原発に寄せるエネルギーは凄まじいものがある。官邸前集会のように警察が参加者の勢いを制止できなくなる場面が幾度もあった。
カメラのレンズは、楽器越しのデモ隊や押され気味の警察官に向けられた。
音楽家の坂本龍一さんがメイン会場でのスピーチでいみじくも語っていた―
「金曜日の官邸前集会と同じだ。僕も一市民として参加した…(中略)…たかが電気のために命を危険に晒されなければならないのでしょうか。お金より命、経済より命。Keeping silence after Fukushima is barbarian. (福島の事故後も沈黙しているのは野蛮だ)」
市民が組織に頼らず規制されず、政治的主張をするようになった。もの言う市民が原発を止める。
《文・田中龍作 / 諏訪京》
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