13日、激戦地ベイトラフィーヤで起きた不発弾の爆発事故に巻き込まれて命を落としたイタリア人カメラマンの遺体が、14日朝、イスラエル側に搬出された。
息子の遺体を引き取るために父親がガザに入ろうとしたが、イスラエルが認めなかった。このため赤新月社(アラブ世界の赤十字)が、遺体を搬送した。
死亡したシモーニ・カミリ氏はAP通信のTVカメラマンとしてヨーロッパと中東で起きた紛争を取材してきた。コソボ独立、グルジア戦争、イスラエル‐レバノン戦争、ガザ戦争、イラクとシリアのイスラム国(ISIS)・・・「戦場カメラマン」そのものだった。
戦場をよく知るカミリ氏が、なぜ危険な「信管の抜き取り作業」を近くで取材したのか?
首を傾げる向きもあるだろうが、地元のメディア関係者の見方は厳しい。
「あの場(信管の抜き取り作業)に立ち会ってはいけない。彼のミスだ」。ガザの映像制作会社の社長はニベもなく語った。
欲が出たのだろうか、油断があったのだろうか、疲れがたまっていて判断力が鈍っていたのだろうか? タブーを犯したカミリ氏に何があったのだろうか。
安全圏内に身を置いていても記事を書ける記者と違いカメラマンは現場を押さえなくてならない。危険と背中合わせになる。
古く(1954年)はロバート・キャパがベトナムで地雷に触れて亡くなった。1970年には沢田教一が、カンボジアで何者かに銃撃され命を落としている。
2007年にはミャンマーの民衆蜂起を撮影していた長井健司さんが、治安部隊に撃たれて死亡した。
彼らの写真と映像が、戦争や圧政の現実を世界に伝えた。犠牲というには尊すぎる。
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