経産省のノド元に突き刺さった脱原発の砦が、自民党の政権復帰で危機に晒されている。2011年9月、平和活動家らが経産省の北西片隅に建てたテントは、脱原発運動の拠点として霞が関や国会にニラミをきかせてきた。
14日、テント共同代表の渕上太郎、正清太一両氏のもとに東京地裁から「占有移転禁止の仮処分命令」が送られてきた。仮処分は国が申し立てたもので、「テント立ち退き要請」の前段階にあたる。強制執行などに備えて、占有者を明確にしておくための法的措置だ。
国は「国有地を無断で使用した」として1,100万円の損害賠償を請求するというオマケまで付けた。
民主党政権下では枝野幸男経産相(当時)が昨年1月、「自主的な退去」を求めたことがあった。だが裁判所は介在せず、あくまでも経産省が求めたものに過ぎなかった。テントは枝野経産相が区切った退去期限を1年以上過ぎても健在だ。
さすがは原発推進の自民党政権だ。民主党のように手ぬるくない。テントの渕上共同代表は仮処分の命令書を受け取った時、「段取りを踏んで来ているな」と感じたという。今後の対応について聞くと渕上氏は「自らの意志でテントを撤去するつもりはない」ときっぱり答えた。
「再稼働まっしぐらの安倍政権から脱原発の砦を守らなくてはならない」。こう願う市民たちが22日夕、テント前に集まり抗議集会を開いた。
双葉町から東京港区に避難している亀屋幸子さん(68才)がスピーチ台に立った―
「テントがなかったら私は立ち直れなかった。双葉町を奪われ、次にこの国は第2の故郷であるテントを奪おうとしている。テントを撤去する前に原発を撤去してほしい」。亀屋さんの悲痛な訴えに、会場からは「そうだ」と同調する声がしきりとあがった。
四国は松山市から駆け付けた参加者もいた。伊方原発の反対運動に携わる女性(自営業)だ。「皆(西日本の反原発グループ)がテントに関心を持っていることを伝えなくてはいけないと思って来た。撤去するのであれば、国民的議論をここでやってほしい」。彼女は我が事のように切羽詰まった口調で語った。
【運動弱体化ねらい拠点奪う】
凄まじい格差により病院にもかかれなくなった庶民が2011年秋、「私たちが99%だ」と言ってニューヨーク・ウォール街の公園を2ヵ月にわたって占拠(Occupy)し、格差の是正を訴えた。だが警察によって強制的に公園から排除されると運動は急速にしぼんだ。 (田中龍作ジャーナル 『アメリカ』カテゴリ参照)
人々は自分たちを貧困のどん底に陥れている強欲な金融資本主義に抗議するため、その中心地であるウォール街で「オキュパイ運動」を展開したのである。
原発によって苦しめられている人々が、原子力ムラの総本山である経産省の一角をOccupyし、原発の廃炉を訴え続けている。テントが撤去されれば、日本の脱原発運動は大きな痛手を被る。原発推進政権はそこを狙って今後いろいろと攻撃を仕掛けてくるだろう。
「私にとってテントは育ててもらった実家のようなもの。(強制撤去になったら)籠城するつもり…(中略)生半可な気持ちではいられない」。福島市に住む椎名千恵子さんは、こう語ると口を真一文字に結んだ。
《文・田中龍作 / 諏訪都》