
小沢一郎と石川知裕。今となっては見ることのできないツーショットだ。=2013年3月、豊島公会堂 撮影:取材班(島崎ろでぃ)=
国策捜査による、あの冤罪事件がなかったら日本はここまで転落しなかっただろう。
小沢一郎の資金管理団体「陸山会」による不動産購入をめぐって、小沢本人と秘書ら3人が政治資金規正法違反でデッチ上げられる事件があった。2010年のことだ。不動産購入は2004年。
4億円という巨額の資金移動で痛くもない腹を探られないように分割して税務署に申告したことが政治資金規正法違反の「期ズレ」に当たる、とされた。形式犯である。多くの事務所(資金管理団体)がとっているような常識的な手法だった。
小沢は嫌疑不十分で不起訴となったが、元秘書2人と現役秘書1人の計3人が政治資金規正法違反で逮捕起訴された。
元秘書のうち1人が衆院議員(当時)の石川知裕だった。資金担当の秘書だった石川は起訴後の取り調べで、『小沢先生に虚偽記載を報告し了承を得た』と供述したことにされていた。
ところが、そんなことはひと言も言っていなかった。石川が持ち込んでいたICレコーダ―に記録されていないのだ。検察の捏造だったのである。

判決内容は検察以上に検察寄りだった。疲れ切った表情の石川議員。=2011年9月、衆院会館 撮影:田中龍作=
検察以上にイカサマだったのが裁判所だった。世田谷の土地購入をめぐって石川は逮捕起訴されたのだが、裁判所は起訴事実にはないことを認定して石川に有罪判決を下したのである。
さらに凄まじかったのがマスコミだった。石川によると「裁判所が不採用にした検察調書の内容まで報道された」という。
検察、裁判所、マスコミあげて小沢をクロにしようとした。まさしく国策捜査である。
その後、小沢は検察審査会に申し立てられ強制起訴となる。無罪が確定したのは2012年11月。
小沢の手腕により民主党が政権を取ったのが2009年9月。直後の2009年11月に政治資金規正法違反で告発され、やっとこさ無罪が確定したのが2012年11月。
野田首相率いる民主党がアベ自民党に政権を明け渡したのが同年12月。
米国と対等の関係を掲げて「検察改革」「記者会見の開放」「消費税は上げない」…小沢や鳩山由紀夫らがリードして掲げてきた民主党の改革の多くは、経団連や新聞テレビにとって都合の悪いものだった。
小沢が冤罪に苦しめられることなく、存分に剛腕をふるえていたら、自民党の政権復帰はなかったかもしれない。
石川知裕。国策捜査を最もよく知る男が黄泉へと旅立った。《文中敬称略》

マスコミは検察リークを受けてあたかもクロであるかのような報道を垂れ流し続けてきた。=2011年10月、東京地裁前 撮影:田中龍作=
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