世界中を緊張させる穀物輸出の積み出しを取材するためオデッサまで足を延ばした。
港に近寄ろうにも軍の検問所があって近づけない。次に高台を目指した。横浜の「港の見える丘公園」にあたるだろうか。
見えた。巨大なサイロが10基以上並ぶ埠頭に貨物船が停泊している。だが「撮影禁止マーク」がそこかしこに掲げられていた。
高台の公園も軍が管理している。田中が近づくと歩哨の兵士が携帯電話で何処やらに連絡した。すぐに警察のパトカーがやって来た。
港を撮影しようものなら署に連行されることは必定だ。田中は最後までカメラに触らなかった。
穀物の積み出し風景の次に撮影したい場所があった。映画『戦艦ポチョムキン』(エイゼンシュテイン監督1925年)で有名な「オデッサの階段」である。
映画は第一次ロシア革命(1905年)における水兵の反乱を描いた。反乱水兵と呼応した市民がオデッサの階段に集結するが、軍隊によって無差別に殺されていく。子供が頭を撃ち抜かれ、母親が射殺され・・・老若男女を問わず軍靴に踏み潰されていく。手当たりしだいである。
エイゼンシュテインがモンタージュ理論を確立した「オデッサの階段」は、世界映画史に刻印される名場面だ。
ウクライナに侵攻したロシア軍の残虐さを100年前に予言したような場面でもある。
オデッサの階段は港を見下ろす場所にあることから軍が管理しており、交渉したが撮影不可だった。
オデッサは京都と横浜が同居したような街である。古くから港町として栄え、革命の拠点になったりもした。
旧市街地は建物の色調、様式、高さまで制限が加えられているのだろう。しっとりとした落ち着きがある。京都を思わせる古都に潮風が香るのである。
「パカ・パカ・パカ・パカー」。街を取材中、空に向けた発砲音がした。ウクライナ軍がロシア軍のドローンを撃ち落とそうとしているのだろう。
前日の16日には爆撃があり街は停電した。インターネットはつながらなくなった。
レバノンの首都ベイルートがふと頭に浮かんだ。オデッサは黒海の真珠と言われるが、ベイルートはかつて地中海の真珠と呼ばれた。
地中海の真珠は、しかし、度重なる戦争ですっかり色あせ、くすんでしまった。隣国にシリアとイスラエルを抱え、紛争の火種が尽きない。
黒海の真珠も戦争が長引けば、港町の風情も古都のたたずまいも破壊される。
~終わり~