開戦から86日目、5月22日。
「住民の数だけ惨劇がある」とツイートしたブチャにきょうも取材車を走らせた。時間の許す限り証言を集めたいからだ。
カフェでインタビューしようとした男性2人と意気投合した。彼らはイルピン中央病院(ブチャにあるのだがイルピンと呼ぶ)の外科医師だった。2人は私を病院に案内してくれた。
中央病院には過去にも行っているが、今回は銃撃や砲撃で負傷した住民たちの手術をした医師の話を現場で聞けるのだ。
病院の裏庭に停めてあるトレーラー3台は遺体冷凍車だ。病院の遺体安置室に収まりきれない分が冷凍車に回される。
医師によれば1台につき300~400体が収容される。ロシア軍兵士の遺体も一緒に収められているという。
いま現在、何体が収容されていのかは、外科医たちではつかめない。外科医は手術をする人だから。かといって病院当局に聞いても答えてくれる訳がない。
トレーラーに搭載したフリーザーのモーターが時おり唸った。ロシア兵が去って1ヵ月以上経っても、殺戮の生々しさを感じさせる。
外科医たちはロシア軍が侵攻してきた2月24日頃から脱出する3月11日までの間に90人余りを手術した。
水も電気も止まっているなか、手術用の機材は自家発電で動かした。
動画を見せてもらったが、運び込まれた負傷者は爆撃で手や足がなくなっていた。5歳の女の子は銃弾が頭にめり込んでいた。
銃声・砲声が鳴り響く中での手術だった。ロシア軍が約100室ある病室のドアを蹴破って入ってくるような環境下だ。
「負傷者の命はほとんど救えた。5歳の女の子はイタリアでリハビリ中。わずか数人だが救えなかった命もあった」。ビクトル医師は複雑な表情で語った。
取材に来た回数だけ新たな惨劇に出会う。戦争の爪痕はあまりに大きくて深い。
~終わり~
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