開戦から60日目、4月26日。
ウクライナの桜は今が見ごろである。日本のように群生して咲くのではないが、薄紅の染井吉野が街や村のあちこちで花をつけ、戦時下の国の遅い春に華を添える。
富める者にも貧しき者にも平等に咲く桜は見事である。戦禍の桜は果たして・・・
キーウから東に72㎞のペボダ村。ロシア国境から南下し、首都を目指すロシア軍陸上部隊の通り道にあったため惨劇が起きた。
村人の証言はこうだー
「ロシア軍兵士は物凄い数だった。2千人はいただろうか。空き家から持てる物はすべて持って行った。もちろん食料も」
「ロシア兵は隣の父親と息子の体にガリリンをかけ『火をつけるぞ』と脅した。拷問は2時間続いた。私は自分の家から(蛮行を)見ていた」(タチアーニャさん50代・仮名)。
「5人の村人(いずれも20代)はモロトフカクテル(火炎ビン)を準備していたのを見つかり、射殺された。ロシア兵は遺体に手榴弾を投げつけた。そして遺体の埋葬を許さなかった」
「ロシア兵に『何をしにこの村に来たのか?』と尋ねると『トレーニングと言われて来た』と答えた。ロシア兵たちは皆18~20歳の若さだった」(ガリーナさん87歳)。
ガリーナさんは第2次世界大戦でウクライナに侵攻してきたドイツ軍によってベルリンに連行された。ここでは書けないような辛い目に遭った。
そんなガリーナさんが嗚咽しながら言った。「ドイツ軍もファシストだったが、ロシア軍のように残酷ではなかった」。
ガリーナさん宅そばに破壊された家屋があり、庭には桜の木が残っていた。爆風で枝という枝が吹き飛ばされている。
そんな中、かろうじて幹から離されずにつながっている枝があった。数えるほどだが花を咲かせていた。桜の健気なまでの生命力に、こちらまで凛とした気持ちになった。
ロシア軍は3月末から撤退を始め4月初旬には完全に姿を消した。
戦火に見舞われた桜は、残酷な軍隊が去るのを見届けるようにして花を咲かせた。
~終わり~
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