開戦から54日目、4月20日。
ロシアの属国ベラルーシまで70㎞の街、チェルニヒウまで足を延ばした。人口30万人。ウクライナ北部最大の都市である。
場所が場所だけに街は開戦初日の24日からミサイル攻撃に見舞われた。自走砲などからの砲撃も加わって爆撃は38日間も続いた。
街の20~25%が破壊された。無傷の建物を探すのが難しい。約700人が死亡。死者はいずれも空爆や砲撃によるものだ。
夥しい数の死者が出ていながらチェルニヒウの街中でロシア軍による略奪はなかった。住民の誰に聞いても「なかった」と答える。
極めて稀である。私は数えきれないほどの街や村を訪ねたが、略奪がなかったのは、チェルニヒウが初めてだ。近郊の村では、他の地区と同じく略奪があったようだが。
理由はシンプルだ。ウクライナ軍が奮闘してロシア軍の陸上部隊を街に入れなかったのである。
復興作業を見守っていたウクライナ軍兵士は「数えるほどのロシア兵が入ってきたがすぐに殲滅した」と誇らしげに答えた。
実際、街で戦車のキャタピラーの跡や銃痕は見かけなかった。陸上部隊が入って来た場合、無残な跡を残すが、それがなかった。
陸上部隊の侵攻であろうが空爆であろうが砲撃であろうが、人が殺されるのは同じだ。確かにそうである。
だが私の拙いパレスチナ取材経験で言わせて頂くなら、空爆と陸上侵攻とでは恐怖のレベルが格段に違う。
銃を手にした敵国の兵隊さんたちが、自分たちの土地に入って来て発砲するのである。
ロシア兵を間近に見る恐怖に住民をさらすことなく、しかも略奪もさせなかった・・・軍隊の存在意義を考えるうえで、ウクライナ軍の働きは注目に値する。
「空爆だったら恐くなくていい」などと言っているのではない。空爆は陸上侵攻に勝るとも劣らぬ殺戮と破壊をもたらす。
黒く焼け焦げ壁が崩れ落ちたアパート(90世帯)の中に私は入った。ロシア軍が陸上侵攻していないのでブービートラップが仕掛けられているようなことはないだろうと踏んだのである。
命からがら脱出したヴァレンティナさん(81歳)に話を聞いた―
3月15日朝4時40分頃、突然凄まじい音がした。通りを挟んでアパートの前の病院が爆撃された。爆風でヴァレンティナさんの部屋の窓ガラスは粉々に割れた。
間髪を入れずにアパートも爆撃された。部屋のドアを開けて脱出しようとしたが、アパートが爆撃で傾いてため、ドアは開かなかった。
「死を覚悟した」。幾度も体当たりするとドアは空いた。彼女が脱出すると同時に、アパートから火の手があがった。
「人間がどうしてこんなことができるのか。この戦争の意味が分からない。プーチンが戦争開始を命令した意味が分からない」。ヴァレンティナさんは一気に吐き出すように話した。
~終わり~
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