3月1日、キエフ。朝、外に出てみると薄らと雪化粧していた。
開戦から6日目、地下鉄駅のシェルターに避難した人々のことが気にかかる。
水・食料を補給できているのか? トイレには行けているのか?
田中は東京の銀座駅にあたるフレシャーチク駅を訪ねた。駅の入り口はカラシニコフAK47を手にした警察官5~6人が固めていた。
ソ連時代に核シェルターとして作られた地下鉄駅は、軍事機密扱いなのだろうか。
田中が駅構内に入ろうとすると「メディアノー」「フォトノー」と言って制止された。
「入り口だけでも撮らせてくれないか?」とジェスチャーでお願いすると、一人の警察官がカラシニコフ銃を田中に向けてきた。顔は笑っていない。引き下がらざるを得なかった。
開戦翌日の25日、田中は地下鉄駅を訪ねた。狭い構内に立錐の余地もないほど人がいた。空気は薄く、しばらくいると頭が痛くなった。
いま、どうなっているのか。メディアを入れさせてほしい。
~終わり~
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《読者の皆様》
脱出ラッシュが続く一方で、残った人々は劣悪な環境のシェルターで青息吐息となっています。
田中龍作は踏み留まって、この戦争を伝え抜く覚悟です。
カードをこすりまくって現地取材を続けています。日本の口座への御寄付は、カード支払いの原資となります。何とぞ御願い申し上げます。↓