学術会議への人事介入に抗議する菅野完のハンストが終わると、バトンを受け継ぐように座り込みを始めた人物がいる。
Miky King(mikayo kin)さん。菅野がハンストを終えた26日から同じ場所で座り込みを始めた。イスも菅野から引き継いだ。菅野とはSNSがきっかけで知り合った。
Kingさんは生後2ヵ月から21歳までを沖縄県宜野湾市で過ごした。自宅は米軍普天間基地のすぐ傍だった。戦闘機が離着陸すると障子が揺れた。
父母は共に戦争経験者だ。離島にいた母は、サバニ(小さな漁師舟)に乗って本島に渡り、ヤンバルの森に逃げ込んだ。血まみれの死体を跨ぎながら獣道を歩いた、という。
戦後も米軍機の爆音を聞くと眠れなくなり、睡眠導入剤を手放せなかった。
母と同郷だった父もヤンバルに逃げ込んだ。蘇鉄やアフリカマイマイなどを食べて生き延びた。流れ弾に当たった父の頭と背中には大きな傷があった。
沖縄戦で受けたトラウマからか。父は家族に暴力を振るうようになった。娘のKingさんにも。
DVサバイバーのKingさんは、間接的な戦争被害者とも言える。
米軍が支配する沖縄で育ち、父母は戦争の傷を負ったまま。苛酷な環境を生きてきたKingさんは人一倍、戦争を憎む。
「父母が経験した戦争への道を(日本政府は)繰り返している」「抵抗している人がいることをパンケーキおじさんに知らせたい」。Kingさんは座り込みを始めた動機を語った。
「国会が終わるまで座り込みたい」と話す。国会が始まるまで25日間もハンストを続けた菅野の後継者らしく意志は固い。
~終わり~