2013年7月21日夜9時10分、窓ガラスをビリビリと揺らす どよめき が起きた。参院選挙でNHKが山本太郎の当選確実を速報した瞬間だ。
大政党のように労働組合や市民団体に頼った選挙ではない。1千人を超すボランティアたちが炎天下、山本太郎の選挙運動を支えたのである。
街頭演説会場は道行く人が足を止め黒山の人だかりとなった。マイクを握った山本が「このままじゃ企業に殺される。過労死防止基本法を一日も早く制定する必要がある」と訴えると、非正規労働者たちは拳を突き上げて「ウォー」と雄叫びを上げた。彼らの真剣さには一抹の殺気を感じるほどだった。
田中もその一人だが、生活困窮者たちは救いを求めて山本に望みを託した。国会議員となった山本はタブーにバッサバッサと斬り込み、庶民の期待にたがわぬ仕事をした。
そんな山本の転機となったのが、れいわ新選組の立ち上げだ。2019年4月のことである。
れいわは組織の実態がはっきりしない政党となった。
「どうやって意思決定がなされているのか分からない」。山本の選挙を支えてきた古参のボラはこぼす。
同年7月の参院選挙で国会議員2人を当選させたが、秘書がコロコロと変わった。A秘書は1年で解雇通告を受けたが、このA秘書を採用した先輩B秘書は4か月でクビになっている。
A秘書は国会議員の事務所でトラブルばかりを起こしてきた。1年ごとに事務所を転々としてきたのだ。所属した事務所は10か所を超える。主に民主党(現立憲)系だ。
A秘書は内通者でもあった。公安や自民党にパイプを持つ自称ジャーナリストと密接に連絡を取り合っていた。
永田町は狭い。れいわの実態はA秘書を通じて自民党、立憲などに抜けていた。
A秘書の経歴をちょっと見れば、こうなることは事前に予測がつく。あまりにもズサンな組織管理という他ない。
大成する政治家は有能で実直な秘書が20年、30年と影のように付き添う。れいわの議員はその逆だ。
れいわの緩さは党規約に象徴される。あまりに幼稚でスカスカの規約。少しでも組織に関わったことのある人間は呆気にとられる。学校のサークル以下の内容だ。
「命の選別発言」の大西氏の処分を総会に諮るというが、処分についての条項はない。
それ以前に誰が総会を開くのか、誰が総会に出席する資格があるのか、書かれていない。
熱心な支持者に支えられて、れいわは今後も一人か二人の国会議員を送り出すことはできるだろう。だが政局に影響を及ぼすような規模の政党にはなれない。
それでは困るのだ。年金生活者が3回の食事を2回に減らしてカンパしたのは、山本太郎に総理になってほしいからだ。
「政治を変えてくれるのは太郎しかいない」。田中と助手が街頭でインタビューした有権者100人のうち100人までがこう答えた。
れいわが庶民の期待に応えるには、公開プロセスのもとで規約を書き換える他ない。以下を書き加えることが不可欠となる—
・大組織でコンプライアンスを経験した共同代表を置き、山本代表以上の権限を与える。
・外部の有識者からなる委員会を置き、山本代表以上の権限を与える。委員会の選定は公開のプロセスで行う。
(文中敬称略)
~終わり~