オール沖縄が負ければ、安倍官邸に抗する勢力はなくなる・・・悲愴な覚悟で沖縄取材に入ったのは炎暑の8月だった。取材が終わると季節は秋になっていた。激動の3ヵ月を振り返る―
独裁政治の完遂を寸前で食い止め、オール沖縄を圧勝に導いたキーワードは「寛容」だった。それは玉城デニーの出馬表明(8月29日)にしっかりと盛り込まれていた。
在京民放の有名キャスターが質問した。「前回2014年の選挙は公明党が自主投票だった。ところが今回は公明党が自民党の候補につくが(どう受け止めるか)?」。
玉城は決然と「排除の論理はとらない」と答えた。出自のせいで子供の頃から随分と辛い思いをしてきた玉城は敵を作らない性格だ。
「10本の指はみな形が違うけど、それぞれちゃんと役を果たしている」「人を皮(外見)の違いで判断してはいけない」― 育ての親からの教えは、玉城が政策の一つに掲げて戦った「一人も取り残さない」と素直につながる。多様性とは違いを認めること、他者に寛容であることだ。
寛容の精神は選挙戦でいかんなく発揮された。離反者とはいえ学会員が選挙を手伝うことを受け容れたのだ。オール沖縄の一角には学会と不倶戴天の共産党がいるのにもかかわらず、だ。
前稿でも述べたが、学会員が玉城デニーのパンフを配り、商店などを訪問し「今度の選挙はデニーに入れて下さい」と頼んで回ったのだ。
玉城の街頭演説会場には創価学会の3色旗が翻った。学会旗をめぐっては、最終的にOKを出したものの選対内で賛否両論あった。結論として「持ち込みは可だが演説が始まったら旗は降ろす」ということになったようだ。
選挙戦初日、県庁前に3色旗が上がった時、選対幹部の一人は驚き、確認のため旗のそばに駆け寄った。3色旗を持つ男性は「学会員です」と力強く言った。どちらからともなく手を差しのべ合った。握手したグリップの強さから、お互いに「本物だ」と認め合ったという。
選対幹部の一人とは故翁長知事の次男で那覇市議会議員の翁長雄治。懐の深さは父親譲りだ。
帰京すると、さっそく耳に飛び込んできたのは、ある自治体の首長選挙での野党の不協和音だった。某党の最高顧問が自分の子飼いを出馬させたかったのに、他党が早々と候補者を立てたことに機嫌を損ねているのだそうだ。あげくに「野党共闘という言葉は使わせない」とダダをこねている、と聞く。
連合の意向を汲んだ政党幹部が「●●党とは組めない」などと言っているようでは、野党はいつまで経っても政権を奪還できない。ばかりか消滅してしまうだろう。
野党議員たちは沖縄にインターン研修に行った方がいい。いや行くべきだ。(敬称略)
~終わり~
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